『あしたの虹』はーぷる(書評)
【10月4日特記】 仕事の関連で廻って来たので読んだ。ケータイ小説である。そして、著者のぱーぷるとは実は瀬戸内寂聴なのだそうである。これはまた面妖なものを読んでしまった。
僕は今までケータイ小説なるものを読んだことはないし、瀬戸内晴美も瀬戸内寂聴も読んだことがない。これは瀬戸内寂聴が初めて書いたケータイ小説なのだそうだが、さはさりとて決して典型的なケータイ小説でもなければ代表的な瀬戸内文学でもないのだろう。それにそもそもケータイ小説が本になってから読むという読み方も邪道と言うべきかもしれないし。
なんとも中途半端なものを読んでしまったものだ。
で、読んでみてどうだったかと言えば、これは読む前から完全に予想していたことなのだけれど、面白くない。物足りない。全く深みがない。
所詮僕らのような人間にはそうなんだろうなあ。
「こんなものばかり読んでると馬鹿になるぞ!」と怒鳴りたい気持ちもあるけど、一方で若い子たちは何が良くてこういうのを読むのか(本で読むのとケータイで読むのとは根本的に読み方が違うんだろうか?)知りたい気もする。
ただし、これが他のケータイ小説と同じように捉えられ同じように好意的に受け入れられているのか、それとも所詮文豪が真似して書いたという化けの皮が剥がれて盛り上がりに欠けたのか、そのことさえ知らない。
第1章は「初めての経験」、つまり処女喪失である。主人公のユーリという女の子は中学2年生の時に特別好きでもなかった同級生と割合簡単にセックスをする。この辺りは今様の若い子たちの気分を大作家なりに取り込んだつもりで書いたものか?
しかし、最後まで読むと登場人物に妙に古風なところがあったり、人物やストーリーに仏教的な世界観が割合しっかり反映されていたりする部分もある。
瀬戸内寂聴はこのケータイ小説を書くにあたって少し(変な表現だが)背伸びしたり背をかがめたりしたんだろうか? 少しは後ろめたい思いをしながら迎合したんだろうか? それとも普段とは違うテーストの作品を楽しみながら軽やかに書き上げたんだろうか? なにしろ他の瀬戸内作品を読んだこともないので、そういうことさえ全く想像がつかない。
しかし、それにしても今年86歳になる大作家がどうしてこういうものに「初挑戦」するんだろうか? で、結局正体を明かしてから出版するんだろうか?
そこんところが一番分からないし、ひょっとすると若い人にとって為にならないことをやっているのではないかという気もする。
これを読んだ若い子が、もっといろんな読み物に幅を広げてくれれば良いなあというのが、おじさんが書ける唯一前向きな感想である。
そして、これを読んで「やっぱりな」と思っているおじさん/おばさんたち、ま、そうは言わずに一度読んでみてください。
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