映画『アキレスと亀』
【10月5日特記】 映画『アキレスと亀』を観てきた。
自分ではあんまり意識してなかったのだけれど、どうやら僕はTVなどで見たものも含めると全ての北野武監督作品を見ているみたいだ。それだけ北野武作品が好きだということか。
うん、たけしの映画はやっぱり良いよね。今回も見終わって出てくる言葉はやっぱりそういう言葉だ。
たけしは今回の映画に関するインタビューでこう言っている。
また今の時代って、何にもないやつにやりたいこと見つけろとか、人にはなんか才能があるはずだとかっていう風潮があって。言ってしまえば普通のサラリーマンよりも絵描きになる夢を持つことの方が素晴らしいみたいな時代になってるじゃない。でも、それってすごい強制している気がして、どうかと思うし、じゃあその芸術とかアート自体はいったいなんなんだろうかって思ったよね。
確かに最近よく耳にするのは、「夢をあきらめないでいれば、いつか必ず夢は叶う」といった言説だ。そういうのを信奉していつまでも定職につかない若者も多いと聞く。特に多いのは、じゃあその夢を叶えるために何か特別な訓練をしたり計画を立てたりしているかと言えば全くそういうこともなく、ただぼんやりと夢をあきらめてなくて、そのため定職にもつかない若者だという。
どちらも似たり寄ったりだと言えばそうかもしれないが、たけしがここで描いている男はそういう男ではない。確かに定職にはつかないが、絵のための努力や研究は惜しまない、と言うか、全身全霊を絵のために捧げている。だから、そのために仕事を馘になろうが友だちを失おうが自分の娘がぐれようが、そんなことは歯牙にもかけていない。ある意味、今の若者たちの対極に位置する存在である。
彼の絵描きとしてのスタートは親や周囲の大人たちに甘やかされたこと。それでその気になってしまったが、とうとう芽は出ないまま、どんどん悲惨な状況に落ち込んで行く。それでもものともせずに次から次へと絵を描き続ける。
最初は良き理解者、後には共同制作者となった妻との会話:
「ねえ、昼間は働いて、夜はあなたと一緒に絵を描いて、私は一体いつ寝ればいいの?」
「いいんだよ」
すごい会話。「いいだろ?」ではなく、「いいんだよ」という断定。
で、夢をあきらめなかった結果はどうなったかと言うと、ひとことで言って才能なかったということで、まあ、辛うじて命だけは落とさずに済んで良かったとしか言えない結末。
何の財産も成果も評価もない。救いようもない──そのことを監督の北野武は自虐的に嗤って描いて見せる。でも、ラストにかすかな救いだけはちゃんと用意してある。
まあ、まとめるとそんなことになるが、映画なんてものはあんまりまとめすぎると良くないだろう。画を通じて伝わってくるこの気分、トーン、色彩、風、飛沫、造形、純粋、馬鹿、そしてたくさんの死──これらを感じることのできる人がたけし映画に嵌る人だと思う。
実はこの映画、ほんの短い予告編を見ただけで僕は泣きそうになってしまったのである。ほんの短い映像と台詞で、伝えようとしていることがビンビン伝わってきて、もう少しで涙があふれるところだった。
本編を見ると、たけしらしい悪ふざけが各所にあることもあって、泣くようなことは全くなかった。でも、伝わることが伝わったという感じだけはある。しかも、心のとても奥深いところまで。
人生のパートナー役を今まで何度も共演して見飽きた感じのある岸本加世子から樋口可南子に変えたこと、音楽担当者を今まで何度も担当して聞き飽きた感のある久石譲から梶浦由記に変えたことが非常に良かったと思う。
たけしの若いころを柳憂怜が、もっと若いころを子役の吉岡澪皇が、そして樋口可南子の若いころを麻生久美子が演じている。いずれもなかなかの好演である。
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