YTVスペシャルドラマ『夢をかなえるゾウ』
【10月10日特記】 録画したまま1週間以上放ってあったのだが、今夜スペシャルドラマ『夢をかなえるゾウ』を観た。小栗旬が出ていたゴールデンの2H特番のほうである。
いやあ、予想したとおり、ホントにばかばかしい。いや、ほんまに阿保くさい。
小栗旬が演ずる主人公が、古田新太が演ずる象の神様・ガネーシャの薫陶を受けて、今勤めている子供服のアパレルメーカーで漸く頭角を現してきたのに、結局学生時代の夢を捨てきれずにカメラマンを目指して会社を辞めるという結末にも、僕は異論がある(諦めるのも価値ある決断である、という視点があっても良いのではないか)。
だが、こんなドラマをばかばかしいと思う僕でも、学ぶべき点が1つあると思う。それはドラマの中でガネーシャが次々と繰り出す「課題」のことを指しているのではない。
ガネーシャ風に言うとこんなこと:
教訓は押しつけがましく他人に語ってはいけない。
(ただし、ドラマの中でのガネーシャの「課題」は全て「・・・する」という肯定文で、上のような否定文の形式のものはない。そこが、このお話の偉いところでもある)
もう全くええ加減そのもののガネーシャが語るからこそ良いのである。時々マジになって教えを垂れてきたが、会社を辞める決意をした主人公にガネーシャはこう言う。
あんまり無理しいなや。夢を追いかけたかったら追いかけたらええし、女の尻を追いかけたかったら追いかけたらええ。何でもええんや。
この緩さこそが逆説的な説得力なのである。
そして、ドラマとして全体的に物事がうまく運びすぎで、見ていて「あほくさっ!」と吐き捨てたくなるのも確かなのだけれど、でも、なんか「教訓」が自分の脳裏に残ってたり身体に染みついてたりする感じがあったりする。
そして、知らず知らずに前向きな気分になっていたりする。
それは、このドラマが押しつけがましくないことによるのである。
そして、そういうことができるのがテレビならではの魔力であり、歴史的にそういう役割を担ってきたのがテレビなのである。
そういうことになるんなら、まあ、ばかばかしくても良いか、というのがこのドラマに対する僕の総括である。
深夜のレギュラー枠のほうは、もう見る気がないが、陰ながら成功を祈っている。
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