『野球の国』奥田英朗(書評)
【9月18日特記】 いきなりこんなことを書くのも何だが、この本を読んで奥田英朗に幻滅した読者もいるんじゃないだろうか?
なにしろ人間が小さいのである。彼の小説の中に出てくる魅力的な人物たちのイメージからはほど遠い感じがする。小心で狭量で、そのくせ格好だけはつけていて、寒い中スーツケースを転がして次の宿泊先まで歩いている姿を「知り合いには死んでも目撃されたくない」(52ページ)などと大げさなことを言う。
だいたいにおいて自分が今日は何を着ているかをいちいちブランド名を挙げて描写する男性作家がどこにいる? でも、よく読んでみると着ているのはほとんどCPカンパニーの服ばっかりで、しかも、それも松屋銀座の女性店員に毎回選んでもらってるとなると格好つけてるんだかカッコ悪いんだか、という感じ。
で、「『芸術方面のお仕事ですか』と聞かれ、気をよくする」(55ページ)という俗物ぶりである。
じゃあ、そういう自分を客観視して、さらけ出して、笑いのネタにしているかと言えば、どうもそこまで思い切れた感じもなく、世間に対する恨みごとばかり書いていて、もちろんそれはそう書けば読者が喜んでくれるだろうという計算の下に書いているのだが、うん、どう言うか、カラッと晴れ渡った笑いにならないのである。自分を茶化し切れていない感じがするのである。
「わたしは、こころとストライクゾーンがとても狭い人間である。神経に障ることがいっぱいある。繊細と言いたいところだが、たぶん狭量なのだろう」(241ページ)などという表現がその最たるもので、読んでいて笑う前に、「そう、その通り」とついつい真顔で頷いてしまうのである。
この本は著者がプロ野球(2軍を含む)の観戦をしながら、日本各地(沖縄~東北)と台湾を巡る、ルポルタージュと言うよりも紀行文と言った感じの本なのであるが、著者の不平不満のほうが野球の記事より多い本である。
その不平不満の面白さを楽しめる読者の場合は良いが、私のように最初に楽しみ損ねるとそこから最後まであまり興が乗らないのである。
だいいち、長年のプロ野球ファンならではの、「さすが奥田!」みたいな分析があるわけではなく、野球に関する著述はやや凡庸である。たとえば保坂和志の小説の主人公がベイスターズの試合を観戦しているシーンなんかのほうが断然面白い。
まあ、こんなに貶してばかりいると、「この本を読んで奥田英朗に幻滅する人より、この文章を読んでお前に幻滅する人のほうが遥かに多い!」と反撃されるだろうなあ。そう言われると返す言葉はありません(笑)
ただ、この作家が如何にプロ野球が好きかということだけはよーく解った。
「もっとも、嫌いなものが多いから、好きなものに出会えたときのよろこびは大きい。映画だって、音楽だって、書物だって、わたしには『生涯の友』といえるものがたくさんある。プロ野球も同様だ。江川のストレートに驚嘆し、遠藤のフォークに目を奪われ、原の放つホームランにため息をついてきた。わたしは美しいものと、それが輝く瞬間が好きだ。記録と権威に関心はない」(243ページ)
──最後のページの直前になってやっと出てきたこの表現に出会っただけでもこの本を読んだ意味はあったと、まあ、プロ野球ファンのよしみでそういうことにしておこう。
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