映画『パコと魔法の絵本』
【9月23日特記】 映画『パコと魔法の絵本』を観てきた。
今日、この映画を観た坊ちゃん、お嬢ちゃんたちへ
正直言って君たちには少し難しすぎるかなあという映画だったね。君たちのママも「ダメよ、あんな映画に子供たち連れてっちゃ。『下妻物語』や『嫌われ松子の一生』の監督よ」と怒られたりしたそうだ。
君たちが君たちの知力と感性で理解できたのは半分か、ほんの3分の1だったかもしれない。でも、今日から20年くらい経ったある日、君たちはレンタルDVD屋(いや、BD屋かな?)の片隅できっとこの作品を見つけて、とてもとても懐かしい気分で手に取るだろう。
もっとも、公開当時に決して傑作扱いされた作品ではないので、君たちが見つけ出すには少し時間がかかったかもしれないけど・・・。いずれにしても君たちはそれを借りて帰って、もう一度見ることになるだろう。成人した君たちの目で。
そう、これはそういう映画だ。成人してから必ずもう一度見直したくなるだろうし、またいつまでも心の中に残っている映画のはずだ。そう、パコはずっと生きているんだ。
そして、君たちは2008年に子供だった君たちでは決して気づかなかったいろんなことに気づくだろう。
まず、土屋アンナの脚線が如何に美しいかということ。加瀬亮に噛みつくときの小池栄子にセクシーなものを感じてしまうということ。
訓練を積んだ役者の声(絵本を朗読するときの役所広司)というものが如何に張りがあって強いものかということ。素顔がわからないくらいに特殊メイクしていても、優秀な役者はその声でちゃんと誰だか判るということ。
後半、3DCGと扮装した役者が交錯するという非常に珍しい構成を取っているということ。
本物と見分けがつかないCGではなく、わざとバレバレの、如何にもCGっぽいCGでありながら、非常に精巧なCGであること。また役者には、映画でありながら如何にも芝居っぽい台詞を言わせていて、しかも不思議に説得力があるということ。そして、この2つのことが符合しているということ。
展開の仕方が舞台っぽいということ。Aが喋り、Bが受けて、それを聞いていたCが下手から登場、みたいな全体像をカメラが動かずに捕えているということ。
今日君たちが驚いたり怖がったり面白がったりした要素には、20年後の君たちはあまり反応しないかもしれない。しかし、これを大人が見れば必ず別の感慨があるということも君たちは改めて理解するだろう。
20年後にはおじさんは、すっかりおじいさんになっているか、あるいはもう死んでこの世にいないかのどちらかだ。おじさんも多分、死ぬ前にこの映画のことを思い出すような気がするよ。
おじさんがこの映画で残念だったのはたったひとつだけ。
いつものとおりの色の横溢、光の氾濫なんだけれど、『下妻』や『松子』のときにはこれが紛れもない日本の色遣いだったのに、今回はピクサーかディズニーみたいなハリウッドの色遣いになっているということ。これも意図してのことなんだろうか?
いずれにしても、題名どおり、まるで魔法の絵本みたいな映画だったね。大事に残しておきたい気がする映画だったよ。君たちにとってもきっとそうだったと思う。
大人になってから手に取ったときに、そのことがきっと甦ってくると思うよ。うん、これはこれから大人になる人の話だと思うなあ。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。
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