『灯台守の話』ジャネット・ウィンターソン(書評)
【9月1日特記】 かつては著者で本を選ぶことはあっても訳者で選ぶことなんてなかったものだ。それが、柴田元幸の登場以来そんなに珍しいことでもなくなってきた。それは「この人の訳文なら大丈夫だ」という信頼感などではない。「この人が訳してやろうと選んだ本ならば」という信頼感なのである。
そんな感じで今回は岸本佐知子の翻訳を選んでみた。そう思って読むと、いかにも彼女らしい作品だ。そう、主人公がちょっと変わった女の子なのである。
名前はシルバー。お父さんはいない。お母さんと崖の上に斜めに突き刺さって建っている家に住んでいたのだが、お母さんは突風に飛ばされて死んでしまう。そして孤児になったシルバーを引き取ったのが盲目の灯台守ピューである。
ピュー自身が一体何年生きているのか判らないような不思議な老人だが、もっと不思議なことに、この灯台には代々ピューという名前の灯台守が住み着いているのである。シルバーは学校にも行かないでピューの見習兼助手としてこの灯台で暮らし、言わばシルバーの語る物語で育てられるような毎日が続く──ある日突然この灯台が「無人化」される日まで。
ところで話は逸れるが、シルバーというのは『宝島』に出てくる海賊の名前である。また、僕は知らなかったのだが、その同じ小説にピューという盲目の海賊も登場しているのだそうだ。そして、『宝島』の作者スティーブンソンもこの小説に登場する。
で、これもまた僕が知らなかったことなのだが『ジキル博士とハイド氏』もまたこのスティーブンソンの作品なのだそうで、彼がこの小説を書くにあたってモデルにしたと思われる人物が、この『灯台守の話』に出てくる。それが、この小説の第2の主人公といっても良いバベル・ダークである(この名前がまたすごい。バベルの塔と暗闇である)。
彼はスティーブンソンの時代の人なのでシルバーより随分前の人間だが、ピューがシルバーに聞かせる昔話の主人公として(そしてピューが住んでいるこの灯台を建てたジョサイア・ダークの息子として)この小説に登場するのである。
かくしてこの小説には1人の人格の分裂に悩むバベルと、代々何人もの人間が同じ1つの名前を持つピューという、2人の対照的な人物が現れることとなる。後者が前者を語る形で。そして、そのことによって、この小説の中には随分とゴシックなバベルの物語といかにも現代文学風なシルバーに関する展開が同居することになる。
シルバーは灯台を追い出されてから一時はピンチに陥る(そう言えば、ピューの前に一時シルバーを預かったのは学校教師のミス・ピンチだった)が、全く自分を曲げようとはせず、いずれのピンチに屈することもなく、その個性に忠実に自分を生きる。
この小説は、小さい時からちょっと変わっていると言われていた人、そう言われて悩んだ人、でも、今では変わってると言われると嬉しくなる人──そういう人が読むのに最適な小説ではないかと思う。ちょうど僕がそういう人間である。読むと心が軽くなるよ。
出てくる地名がソルツという町のケープ・ラスという岬──カタカナ書きのためすぐに結びつかなかったのだが、これは salts(塩)の wrath(怒り)である。そして、最後に塩が溶け、怒りが流れる物語である。
全編に渡って海面に陽光がキラキラ反射しているようなイメージがずっと続いている。そこらあたりがこの作家の巧さなのだと思う。
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