映画『ジャージの二人』
【8月16日特記】 映画『ジャージの二人』を観てきた。
父親の鮎川誠が黄緑のジャージ、息子の堺雅人が赤いジャージ(映画の中の台詞では「あずき色」になってるけど)。ともに上着の袖とズボンの外側に白い2本のラインが入っていて、胸の学校名(和小と桶谷)のロゴやマークも白抜きである。
さて、ポスターではこの2人が並んで立って(上手が息子、下手が父親)、息子のさらに上手側にシベリアン・ハスキーがいて、バックグラウンドは黄緑1色なのである。そして、文字は基本的に白抜き、一部赤い文字やマークもあり。
僕は上映前にこのポスターを見ていて、ははあ、なるほどこういう発想もあるのか、と感心してしまった。こういう発想に至らないところが僕の限界なのだろうなあと思った。
僕がポスターを作るとしたら、バックグラウンドにはまず黄緑と赤以外で、それらの色と親和性の高い色を探しただろう。もし、探し切れなかったら白を選んだのではないだろうか。そうすると文字は黄緑と赤ということになっていたはずだ。これではちっとも面白くない。
バックグラウンドに父親のジャージと同じ色を持ってきても良いのだ、という発想が僕には欠けているのである。
そして、見終わって、変な喩えだが、この映画ってそういうことに気づかせてくれる作品なのではないかなと思った。
ちなみにパンフレットの表紙はほぼ同じ図案で、ただし、犬はおらず、これ以外の写真も嵌め込まれておらず、字は白抜きの縦書きで「ジャージの二人」だけである。そしてバックは一面黄緑。この発想はもっと出てこないような気がする。が、もちろんこれで良いのである。
別荘を出る時に父子はジャージを交換し、翌年また来た時には息子は黄緑のジャージを持って来て着るが、父は家にあった別の紺色のジャージ(田井小)にする。3人目の人物が赤いジャージ(これはちょっとあずき色っぽかった昨年の息子のジャージよりもう少し緋色っぽい)を持参しており、3人目が別の人物になっても引き継がれる。
息子のジャージが赤から黄緑になって何が変わったかと言えば、それはこれがキャベツ畑などの周囲の風景にとてもよく溶け込むということだ(ただしパンフを読むと、監督は「背景の自然に溶け込まないように敢えて人工的な緑色にした」と言っていたらしい。この辺も笑えるエピソードだ)。
それぞれに、なんかこう、あんまり巧く行っていない父と子が一緒に群馬県の山荘に滞在する話である。原作は長嶋有。
中村義洋監督の、と言うか、脚本家・中村義洋のファンであれば文句なしに満喫できる映画である。「ゆるい」とか「不思議」とか「ニュアンス」とかいうキーワードでもっぱら切り取られる作品なんだろうけど、実は深い。そして深いけど淀まずにサラサラ流れている感じ。
監督がインタビューで語っている言葉が見事にこの映画のポイントを突いていると思うので、少し長くなるがまるごと引用しておく。
──原作の小説のどんなところに惹かれて映画化したいと思われたのですか。
何も起こらないところですね。でもこういう作品もちゃんと映画になっているでしょう、という映画を作りたかったんです。何も起こらないといっても、すごい心のさざ波をとらえているわけですから。この親子って大事なことは何も言わないんですよね。でもその関係はねじれてはいない。世の中には何でも話し合う気味悪いぐらい健康な家族もいると思いますけど、人とのつき合い方や家族とのつき合い方の距離感が僕にとってはかなりリアルなところに共感できたのです。
また、こないだ僕は『百万円と苦虫女』の映画評で「観客に対してもっと不親切でも良いのではないかなあ、なんて思ってしまった」と書いたばかりだが、奇しくも中村監督が同じようなことをインタビューで語っている。
(登場人物の)関係性が複雑なんですけど、そんな事情はいっさい説明しない。見ていてだんだんわかってくれればいいかなと。不親切といえば不親切なんですけど、それでもいいんじゃないかなと思ったんです。あまり日常でもそんな深刻なことは口に出さないし、そういうリアリティのほうを大事にしました。
僕が中村監督を買うのはまさにこういうところである。
パンフに載っている堺雅人と漫画家・羽海野チカの対談では、羽海野が原作を読んだ時に一生懸命読み解こうとしたのだが、あとがきを読んだら「読み解かなくていい」と書いてあったというエピソードが紹介してある。
そう、これはそういう映画なのである。
「なんかこう」という口癖とか、片手をあげる女子生徒とか、熊手がアンテナになるところとか、発想が独特で時々笑わしてくれる。尤も「化膿症」は聞いた途端に分かっちゃったけどね。
画もとても綺麗だし、出演者も良い。
堺の巧さは別格として、鮎川のなんかこう台詞棒読みのようでありながらすごく味のある演技に妙に魅かれるし、鮎川の娘(堺の腹違いの妹)役で出てきた田中あさみも魅力的で、極め付きが近所のおばさん役の大楠道代のこの存在感!
映画も終盤に差し掛かった時、ふと僕の脳裏に浮かんだのは Sweet Sweet Surrender という歌の題名(同名異曲もあるようだが、僕が知っているのはジェフ・ベック率いるベック・ボガート&アピス)。降参なんだけど、甘い降参。そんな感じの映画だ。
音楽と言えばエンディング・テーマの HALCALI がまた和むのだが、驚いたのはこの曲がこの映画のために書かれたのではなく、監督がこの曲を聴きながら台本を書いたのだということだ。
それから、パンフがとても良い。いや、綺麗な写真が多いとかそういうことではなくて、書いてあることが全部的を射ている。パンフを買うとたいてい誰か1人くらいは的外れな「解説」を書いていたりするものだが(いや、そんな風に感じる僕のほうが的外れだという指摘もあろうが)、ここに書いている人は見事にこの映画のことを理解している人ばかりだ。最後のほうに載っている相田冬二の作品評もこれまた見事である。
普段パンフを買わない人も是非今回は買って読んでほしいと思う。
こないだこのブログで、群馬に行ったことがあるとかないとか書いていたら、たまたま群馬を舞台にしたこの映画にぶつかったのも、なんかこう奇遇な気がして嬉しい。
ところでどうやら僕はやっぱり群馬に行ったことがある(北軽井沢、鬼押出し)。
広がる映画である。残る映画である。そして気持ちの良い映画であった。降参。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。
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