映画『きみの友だち』
【8月9日特記】 映画『きみの友だち』を観てきた。
重松清という作家は読んだことがない。
もうかなり前だが『情熱大陸』で取り上げられているのを見て、「世間を舐めて粗製乱造しているひどい作家だ」と怒りを覚えた。そして、その翌日に試しに本屋で1冊手に取ってみたところ、凡そ作家とは思えないひどくたどたどしい文章にげっそりして、それ以来彼の作品には文字通り触れたことさえない。
にもかかわらずこの映画を観たのは監督が廣木隆一だからだ。好きな監督なのである。
で、僕が好きな監督である廣木隆一は、僕が読む気にもならない重松清の原作を読んで「とにかく感動し」、「『これだ!』と思った」のだそうである。不思議。まるでじゃんけんみたいだ。
まあ、別にそんなことはどうでも良い。とりたてて重松を貶したいという訳でもないし、映画がよく出来ていて面白ければ、それで僕は満足である。
パンフを読むと原作にかなり忠実らしい。ただし、原作にはもっともっとあるエピソードの内からいくつかを抜き出したみたいだ。
まず和泉恵美(石橋杏奈、子供時代は田村友理)という主人公がいる。交通事故の後遺症で左足が不自由で常に杖をついている。そして同級生の楠原由香(北浦愛、子供時代は沓澤万莉)がいる。彼女は腎臓の病気で入退院を繰り返している。
2人はともに障害を持ち、(恵美によると)「歩く速さが同じ」だという理由で親しくなる。気性の激しい恵美と大人しく辛抱強い由香は対照的な組み合わせだ。この2人の少女の小学5年生からの話がひとつの柱。
そして恵美のクラスメートで、友だちづきあいのストレスから心因性視覚障害が発症したのをきっかけに急に恵美と由香に接近するハナ(吉高由里子)の話。
さらに恵美の弟で、勉強もスポーツも万能なブン(森田直幸)とそのライバルにして親友のモト(山田健太)、ブンの幼馴染で、モトにかつての親友を奪われたと思ってコンプレックスの塊みたいになってしまった三好(木村耕二)、同じく劣等感から下級生に辛く当たる上級生・佐藤(柄本時生)の話。
以上が主な構成要素で、その外側に、言わば全体の狂言回しとして、20歳になってフリースクールでボランティアをやっている恵美と、そこに取材にやって来たライター中原(福士誠治)の「今」の話が展開されている。なかなか凝った構造である。
で、良い話である。頑なになった心を溶かす映画である。ところどころ(読まずにこんなことを書くのも申し訳ないが)多分原作が持っていたチャチさ・安っぽさ・安易さが透けて見えるのが玉に瑕ではあるが・・・。
あまりカットを切らずに役者に長い演技をさせている。しかも、カメラはかなり引いたままである。作り手の生理として多分この辺から寄って行きたいと思うはずのタイミングでもずっと辛抱して、寄らない。人物は小さいまま、でも、その後ろの風景が何かを語っているような気さえするから不思議だ。
非常によくできた脚本(あるいは原作通りなのかもしれないが)で、「もこもこ雲」をはじめエピソードの作り方もうまいし、ところどころにある映画的な仕掛けが本当にさりげなくて効果的である。これから観る人のために具体的に書く訳には行かないが、見ていて「ああ、なるほど、そうだったのか」と思う点がたくさんある。
そして、出演者の演技が驚異的に素晴らしい。特に石橋杏奈が素晴らしい。今回14歳から20歳までを演じているが、まだ今年16歳の少女である。上手い下手よりも、これだけ強烈な印象を残せるところが大したものだと思う。
そして、『誰も知らない』の長女役でデビューした北浦愛、さらに僕がずっと期待して注目している吉高由里子(石橋杏奈とは逆で、今年20歳の彼女がわざと子供っぽい喋り方をして14歳の少女を演じている)、今回親子共演となった柄本明と柄本時生(今回は息子のほうが圧倒的な見せ場を作っている)、20歳の石橋杏奈を優しく見守る福士誠治、北浦の両親役の田口トモロヲと宮崎美子──誰をとっても本当に良い演技だったと思う。
見て泣くような映画ではない。ま、泣く人もいるだろうけど、僕は泣かなかった。でも、見終わってなんか体内のどこかで温かい液体が溢れ出して漲っているような気がした。
重ねて書くが、頑なな心を溶かし出すような映画であった。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。
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