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Wednesday, August 20, 2008

『ぼくは落ち着きがない』長嶋有(書評)

【8月20日特記】 この作家の作品も随分読んでいるが、今回初めて嫌な感じを受けた。作者が「どうだ、巧いだろ」と言っているような感じだ。

もちろんこれは作者が明示的/暗示的にそんなことを描いている訳でも何でもなくて、単に僕の偏見とやっかみがそういう感想を持たせたということでしかないのだが…。

ともかく以前から女性を描くのが巧い作家だと思っていた。どうしてこんなに巧く書けるんだろ、と思っていたら今度は高校生である。なんでこんなに巧く女子高生が描けるのだろう? 自分が高校生だった頃を描こうと言うならまだしも、彼は今の高校生を描こうとしてる。

当の女子高生が読んだら「これは違うよ」「まさかぁ、あんなことはやる訳ない」等の異論が一杯出てくるのかもしれないが、とりあえずサマになったものが書けるのが不思議だ。

今の高校生気質とか、高校生の間ではやりそうなこととか、そういうものはともかく、金属バットの音が聞こえてきたことで「野球部はランニングが終わったのか」と思うなどという話は一体どこから出てくるのか? これは書けないエピソードだ。まさか高校の近くの校庭が見渡せるマンションにでも住んでいるんだろうか?

で、描かれているのは今の高校生なんだけど、テーマは永遠と言うか、昔も今も未解決の問題、帯の宣伝文句で言うと「人って、生きにくいものだ」というのが主題であり、これは誰が考えてもおいそれと解決しない問題だから、小説の中で綺麗に決着をつけてしまうと
却って説得力がなくなってしまう。

そういうことを踏まえてのことか、まるで途中で投げ出したみたいにして小説は終わる。この終わり方には賛否があるだろう。

僕はどうかと言えば、この終わり方の巧さにやっぱりなんか嫌ぁなものを感じたのである。
人生を捉えるために読書を扱った小説。舞台は何と高校の「図書部」である。読み終われば僕と同じ感慨を持つ人がきっと何人かはいると思うのだが、ひとことで言って「出来過ぎ」なのである。何が出来過ぎって、この中途半端な感じが。

中途半端がここまで徹底して描かれた小説も珍しいのではないか。嫌な感じを受けたと言いながら、僕は同時に捨てがたい感じがしているのである。

「ぼくは落ち着きがない」というタイトルは非常に妙だ。主人公は女子高生なのにタイトルは男性。そしてタイトルは一人称なのに、読者はそれは自分のことだと思ってしまうのである。

蛇足だが今回の一番の発見は、ああ、この作家、結構アーヴィングが好きだったんだということ。かなりアーヴィングを踏まえたところがある。図書部に入部するときっとそういうことも解ってくるんだと思う。小説の中でこっそりと独自の読書論を展開しているところも憎めない感じがする。

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