映画『たみおのしあわせ』
【8月3日特記】 映画『たみおのしあわせ』を観てきた。
実は観る前に2つのことを懸念していた。
1つは、なんか軽薄にワハハと笑ってそれで終わりの映画なんじゃないかな、という不安。僕は岩松了という劇作家・演出家(今回は監督・脚本)をほとんど知らないのだが、勝手にそういうイメージで捉えていた。
だが、これは全然違った。そういう映画ではなかった。
もう1つは、何度見合いをしても断られ続けている男の役がオダギリジョーでは恰好良すぎて説得力がないのではないかという不安。
だが、これも違ってた。そもそも「何度見合いをしても断られる男」ではなくて「何度見合いをしてもこちらから断わってしまう男」である。これなら大丈夫。
この神経質そうな役柄をオダギリは期待に違わない好演だった。それを見守る父親に原田芳雄というこの組合せも秀逸。自分を犠牲にして息子の幸せだけを祈っているように見えて、実は職場の女性と次々と交際してるという辺りが面白い設定だ。
そして、オダギリと晴れて縁談がまとまった女性に麻生久美子。でも、僕にとってはこの役柄あたりからなんか怪しくなってきたんですよね。理解できなくなってきた。
実はこの映画を見終わって、本当に久々に「分からん」と思った。こんな風に思う映画はいつ以来だろ?
結婚するオダギリと麻生と父・原田の3人の生活を描いたドラマかと思ったら、それ以外に原田の亡妻の弟、つまりオダギリの叔父役の小林薫が出てきて、こいつがアメリカ帰りで屋根裏に隠れれて、と些かややこしい筋である。そして、そこに原田の現在の愛人である大竹しのぶが絡んでくる。
見れば見るほどものすごく豪華なキャストである。最近いろんな映画で印象的な演技を見せた俳優が集まっている。
- 『転々』のオダギリジョー
- 『歩いても 歩いても』の原田芳雄
- 『純喫茶磯辺』の麻生久美子
- 『休暇』の小林薫
- 『クワイエットルームにようこそ』の大竹しのぶ
- 『サッド ヴァケイション』の石田えり
そして、彼らが縦横に動き回って、はて、このストーリーをどうやってまとめるんだろ、と思ったあたりから急に変な方向に行ってしまうのである。
で、最後まで見終わって、このストーリー──やっぱり「分からん」っちゅう感じなんですよね。
「こんなストーリーにしてしまったために訳の分からん作品になってしまった」と批評するところまでも至らなかった。それよりずっと手前で「分からん」と思ってしまったのである。
帰りの電車の中で「何なんだろう、これは」と首をかしげながらパンフを読んでいたら、監督インタビューのところに差し掛かって漸く少し腑に落ちた。
監督曰く、
なんでしょうね。人間って、視野の狭さっていうのをみんな抱えてると思うんですよね。視野がせまいからバカなこともする。もうちょっと視野が広ければこんなことはしなかったのにっていう。
ふーん、そういうことだったの。
少し解った。でも全然共感はない。たぶん僕はそういう人なのではないのだと思う。何が「そういう人」なのかよく解らんが、うん、そう、僕はもっと論理的な人間だと思う。だから、こういう論理から突然逸脱してしまう行動に共感が持てない。
ま、仕方ないね。
こういう映画ってアメリカとかヨーロッパではどうなんだろ?
あまり馴染みのない監督なので、どうかなあみたいな半信半疑で見始めたのだけれど、最初のほうのオダギリと麻生の自転車並走のシーンで「おっ、良い画撮ってるじゃん」と驚いたら、その後綺麗な構図続出。カメラマンが『歩いても 歩いても』他一連の是枝作品や塩田明彦の『カナリア』などを撮った山崎裕だったんですね。
『卒業』でダスティン・ホフマンが花嫁を略奪して走って以来、いろんな映画で結婚式のハプニングが描かれたけど、こういう結末はさすがに誰も考えたことがないだろう。ぶっこいてくれるねえ。ありえねー!(笑)
そういう意味で岩松了監督って、独特の感覚してて、(僕には結局わかんないんだけど)いろいろ考えさせてくれる。分からんけど怒涛の余韻がある。
でもさあ、あの後、あの人たちどうすんのよ?
それを考えるとやっぱり分からん映画であった。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。
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