『リアリズムの宿』
【7月26日特記】 WOWOW から録画してあった『リアリズムの宿』を観た。山下敦弘監督の出世作である。
この後が『くりいむレモン』、その次が『リンダ・リンダ・リンダ』、そして『松ヶ根乱射事件』、『夢十夜』、『天然コケッコー』と続く(ちなみに『くりいむレモン』は WOWOW で、『リンダ・リンダ・リンダ』以降は全て映画館で観た)。
こういう時期の、つまり自主映画出身の監督がブレイクする前の映画を見ると、たいていは「実験的」「習作」「アングラ」みたいな匂いがあって一様にしんどい。でも、僕らは必死で何かの「片鱗」を探し出そうとして血眼になってしまうのである。
いやあ、しかし、こまごました所にユーモアが散りばめられているにはいるのだが、それにしても暗くて重苦しい。と、その時、ふとこれがつげ義春の2つの漫画『リアリズムの夜』と『会津の釣り宿』が原作であったことを思い出し、そうか、この暗さ、重苦しさはつげの原作から来ていたのか、と俄かに納得した。
それで、まさかないだろうとは思いながら家の中を探してみたら、新潮文庫のつげ義春作品集に上記2編が収められていたので読み返してみる。
随分印象が違う。つげの原作は、どちらかと言うと飄々として明るい感じさえするのである。
話もそのままではない。映画はこの2つのつげ作品を2つのエピソードとして取り込んでいるにすぎない。登場人物も設定も違うのである。
駆け出しの脚本家・長塚圭史と駆け出しの監督・山本浩司という組合せが如何にも山下監督らしい感じがする。しかも、2人はほとんど顔見知りとも言えない関係で、本来は共通の友人である俳優が同行するはずだったのに来ない、という冒頭がなんともおかしい。
でも、おかしいのと同時に重苦しい。
途中、海岸にいる2人の前に裸で現れた若い女性・尾野真千子に関するエピソードは山下・向井コンビのオリジナルである。エロの要素もつげ義春には少なからずあるが、彼のエロチシズムはもっと土俗的な感じがするのに対して山下はもっと都会的なエロであって、ほかにも入浴のシーンなどあるのだが、この映画では敢えてモロなエロを避けて撮影している感じがある。
全体に不条理が強調されているように思う。原作にはそれほど不条理感はないのである。ふーん、つげ義春の原作をこういう風に解釈したのか、と感心する。いや、単に自分たちの映画につげ義春のエピソードをちゃっかりと借りて来ただけかもしれない。いや、でも、それならばこういうタイトルはつけないだろう。
この当時、この作品に至る3作(『どんてん生活』と『ばかのハコ船』とこれ)は"ダメ男三部作"と呼ばれていたそうである。山下監督はそのオフビートな作風から"日本のカウリスマキ"、"日本のジャームッシュ"と呼ばれていたとか。
この傾向はその後の作品にも引き継がれているような気もするし、作風が一変したような印象もある。ともかくこの監督が成長を続けていることだけは確かだと思うが、"間"のおかしさという特徴だけはずっと変わらないように思う。
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