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Saturday, July 19, 2008

映画『百万円と苦虫女』予告編

【7月19日特記】 映画『百万円と苦虫女』を観てきた。で、本編に触れる前にまず予告編の話。

僕はこの予告編を少なくとも20回は観ていると思う。で、見るたびに気になるシーンがある。それは鈴子(蒼井優)と亮平(森山未來)が喫茶店で話をするシーンである。

ここでの台詞と画面の構成はこうなっている。

  1. (亮平)自分探しみたいなことですか?
  2. (鈴子)いや、むしろ探したくないんです。
  3. (鈴子)探さなくたって
  4. (鈴子)嫌でもここにいますから。

良い台詞の良いシーンだ。

登場人物による台詞を書き並べたのだが、カットが変わるたびに改行して番号を振ってある。1は亮平の1ショット、2は鈴子の1ショット、3は2人を横から見た引き目の2ショット(上手に亮平、下手に鈴子)、4は再び鈴子の1ショット。

で、何が気になるかと言えば、3で映っている2人は喫茶店で黙って見つめあって座っている画であって、鈴子の口は「探さなくたって」と動いてはいないのである。

僕はこれはやってはいけない編集ではないのかなあと思うのである。4~5回目に見た時に初めて気づいて、それ以来見るたびに気になって仕方がない。

音声だけ残して別の画を挿入するという手法は珍しいものではなく、それをやってはいけないと言っているのではない。

事実、上のカット1の直前のカット(仮にカット0とする)では台詞は鈴子の「百万円貯めて転々としてるんです」で、画はコインランドリーで洗濯の終了を待っている鈴子である。またカット4の直後のカット(仮にカット5とする)では台詞は鈴子の「逃げてるんです」で画は部屋でコーヒーを飲んでいる鈴子である。

このように、回想・空想を含めて、音声だけ残して全く別のカットに差し替えるというのなら問題はない。しかし、この予告編の中でやっているのはシーン全体としては喫茶店で喋る2人であり、台詞もまた喫茶店での2人の会話なのに、このカットだけ同じ喫茶店で喋っていない2人の映像なのである。だから、音では鈴子が喋っているのに画では鈴子が喋っていないという画音不一致が起こっているのである。

僕はタナダユキ監督が何故このような編集をしたのか不思議で仕方がなかったのである。それが、今日映画本編を見て少し驚いた。

映画本編ではこういう編集になっていなかった。まず、それ以前に2人の台詞のやり取りはもっと長かった。いくつか途中の台詞を間引いたものが予告編の台詞のやり取りなのである。

それだけではない。かき氷を作るシーンも、パーティに誘われるシーンも、桃の実をもぎ取るシーンも、本編はもっともっと長く、それをかなり端折って摘まんで予告編が作られているのである。

本編におけるこの喫茶店のシーンにはカット0、カット3、カット5のような別映像の挿入はなく、もっともっと長い台詞を喋る蒼井優を、カメラはずっと1ショットで追っているのである。この音声を切り貼りして予告編を作る時に初めてこういう(短いカットの連続という)形式に変わってしまったということだ。

つまり、予告編での喫茶店のシーンでの画音不一致は編集の都合でそうなってしまったもの、想像するに台詞を違和感なく切って繋ごうとすると画がどうしても繋がらなくなり、仕方なく他のシーンを持ってきたということなのだろう。

しかし、そういう場合はできれば(上記のカット0及びカット5のように)全く別のシーンを持ってくるか、少なくとも蒼井優の口元が映っていない(確認できない)画を持ってくるべきなのではないだろうか?

何故タナダがこういう編集をした(あるいは許した)のかは結局のところ分からない。ただ、それはそれで分からないまま置いといて、実は僕はこの予告編を何度も見るうちに、タナダユキという監督はこういう風に結構小まめにカット変えたり編集したりするのが好きな監督なんだなあと思いこんでいたのである。

ところが実際映画本編を見てみるとむしろ逆であった。それは前述の喫茶店のシーンと予告編を比べただけでも明確である。

長廻しをするというわけではなくて割合カットは変わるのだが、しかし、1つひとつのカットはむしろ頑張って引っ張っている感じがする。決してポンポンと次々にカットを切り替えて行く監督ではないのである。

そこではたと気づいた。

なんと、予告編の方が非常にテンポがよくリズムが感じられるのである。本編は少しのっぺりして乗りにくい感じがある。映画においてはそういうリズム感って非常に大事なものだが、予告編ではそれが達成されているのに本編のほうは少し劣っている感じさえする。

この予告編につられてこの映画本編を見た人が、「あれ、なんか予告編と感じが違うぞ」「予告編のほうが良かったかも」なんて感じたとしたら、原因はそこにあったのではないか。

つまり、彼女のストーリーにはむしろ予告編のようなたくさんの編集点と細かいカット変わりのほうが合っていたのではないか?ということである。

そう考えると、予告編の編集を直接指揮したのは誰なんだろう、という疑問と、あれだけ巧くできた(本編と比べると判るけど、ホントに巧く摘まんでいると思う)のにどうしてあそこだけあんな画音不一致にしてしまったのだろう、という2つの疑問が残った。

本編については次の記事で触れる。

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