ここは公の場
【7月1日特記】 所謂「炎上」も含めて、誰かの発言や書いたものがネット上で袋叩きに遭うという現象の多くは、その人の「口が滑った/筆が滑った」ことに由来する場合が多い。
全てがそうだと言う気はないが、本当に「滑った」という表現がぴったりであることが多いと思うのである。
「滑った」というのは、「ここが公の場である」とちゃんと意識していれば決して言ったり書いたりしないはずのことを迂闊にも言ったり書いたりしてしまったということである。
もしそれが仲間内での酒飲み話であったなら、せいぜい「おいおい、ひどいこと言うなあ」などというツッコミが入って、お互いに笑ってそれで終わってしまうのである。
もちろん、「公の場であれ酒飲み話であれ、ひどい発言がひどい発言であることには変わりはない。プライベートな場だから言って良いというものではない」という指摘は正論ではある。
だが、仲間内での会話というものの成り立ちは我々が頭で考える以上に融通無碍なものであって、互いに「本気でそんなこと言ってる訳じゃない」という暗黙の理解があるからこそワッと笑って済むのである。
だから、逆にそういう暗黙の理解が得られない場で迂闊に乱暴なことを言ってしまうと痛い目に遭うのであり、だからこそ公の場では画然として言わないという態度を、僕らはまず評価してやるべきなのだと思う。
インターネットやブログの、Web 2.0 の時代を迎えて、言ってみれば、僕らは舞台に上がってしまったのである。
今までは客席で舞台の芝居を眺めるだけであったのに、突如として壇上にいたのである。
客席で、隣にいる自分の友人や家族に向かって出演俳優のひとりをボロカスにこきおろしている分には何の問題も摩擦もないだろう。
ところが、知らないうちに舞台に上がっていて、そして(ひどい時にはその俳優本人を横に置いて)罵詈雑言を吐いてしまったようなものだ。そこには俳優本人や関係者がおり、観客席にはその俳優の何百何千のファンがいるかもしれない。
それが解っていれば、そんなことを壇上で口走ったりしないのである。口走ったために今度は自分がボロカスに言われる番になってしまう。
ただ、まずいことを言ったり書いたりしてしまった人間に対して寄ってたかってボロカスに書き込みをしているような人たちもまた、やっていることは全く同じなのである。なぜならウェブは公の場であるから。
要は公の場ではむやみにボロカスに言ったりすべきものではない、ということだ。
人はとかく罵倒することが痛快な批評なのだと思い込んでしまうことがある。しかも、それは仲間内では往々にして受けたりもするのである。でも、それを公の場で言ってしまうのは勘違いでしかない。
痛快な批評はもっと冷静なものだ。
昨今『○○メッタ斬り』みたいな本が売れているというのも、僕はあまり好ましいことではないなあと思うのである。
ちょっと頭(こうべ)を巡らせてみようよ。ここは公の場ですよ。
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