映画『百万円と苦虫女』本編
【7月19日追記】 前記事で予告編について触れた映画『百万円と苦虫女』の本編について書く。
『さくらん』という映画があった。僕は観ていないのだが、あまり良い評判を聞かない映画だった。普段綺麗な色の静止画を撮るのが本職の人が生まれて初めて映画監督をした作品の限界と言って良いのだろうか?
そして、その共同脚本を書いていたのがタナダユキである。当然僕は『さくらん』に魅かれてこの『百万円と苦虫女』を観ようと思ったわけではない。僕が魅かれたのは『赤い文化住宅の初子』である。
こっちはタナダユキの単独脚本で、監督も彼女自身であった。この映画はキネ旬では第37位というまずまずの順位だったのだが、僕はもっともっと高く評価していた。今どき珍しい貧乏を扱った貧乏臭い映画である。
さて、この『百万円と苦虫女』は蒼井優主演ということで一気に貧乏臭さを払拭している。しかし、蒼井優が演じる佐藤鈴子というのはかなり貧乏臭い女であるとも言える。
予告編で散々観て100万円貯まったら引っ越して再就職を繰り返している女の話だということは知っていたが、大した理由もなく思いつきでそんなことを始めたのだと思い込んでいたら、そうではなかった。
なんせ初っ端のシーンは拘置所である。真っ暗闇の中から看守の制服がぼんやり浮かんできて、やがてそれが嶋田久作だと解る。なんとも暗い設定ではないか。なんとも不幸な女ではないか。
しかし、この映画、評を書きにくいねえ。大体が筋によりかかり過ぎている映画である。だから、筋を書き過ぎるとこれから観る人の興味は一挙に削がれてしまう。
でもなあ、筋に凝ってはいるんだけど、その割には観ていて読めちゃうんですよね。弟からの手紙については読めなかったけど、亮平(森山未來)の態度の謎はすぐに解けてしまいました。
そして、やたらと布石を打つんだけど、その布石が浮いているのである。「ストーリーの進行に今直接絡まないやり取りがここに挟まれているということは、これはきっと"待ち駒"であって後々繋がってくるんだろうなあ」と、逆に気を回してしまうのである。
例えば不動産屋が実家に電話を掛けたら弟が出てきた──これは後々のために入れておかざるを得ないシーンだったのだが、それだけに違和感がある。そして園芸店のチーフが「佐藤さん、中島君と同棲するの?」──なんて、あれは余計なシーンだと思うなあ。
観客に対してもっと不親切でも良いのではないかなあ、なんて思ってしまった。
さて、最初は海の家(ひと夏でしょ? そんなに早く100万円に達するか?)、続いて桃の農家(この田舎の村議会!?のシーンは見事)、そして地方都市の園芸スーパーと転々として来て、この都市では亮平(森山未來)というパートナーもできて、さて、この話をどう収めるかが見せどころということになる。
残念なことに、さっきも書いた通り、かなり読み切れてしまう。なんだ、それで終わりかと思っていたら、最後はちょっと裏切ってくれて、これは却々良い終わり方であった。
まあ、良くも悪しくも蒼井優の映画だったね。蒼井優がみんな食っちゃった、という感じ。特にラストシーンのあの表情なんて、蒼井優以外にはできないだろう。それほど素晴らしい表情だった。凡庸な映画に終わるところが、これで一発逆転ってとこかな。
ただ、映画の印象が全面蒼井優になってしまう。これは蒼井優を主演で使う場合の宿命なんだろうか?
学校でのいじめとか前科者に対する差別とか女性の自立とか、結構キツイ目のテーマを織り込んであるのだが、結局印象に残るのは蒼井優。ピエール瀧なんて強烈に味のある好演してるんだけど蒼井優の前ではかすんでしまう。
ま、蒼井優ファンには間違いなくお勧めの映画。あとは、前の記事にも書いたように、テンポとかリズムの問題かな。つまり、シーンも台詞も、もっと間引いたほうが良かったのかもしれない。全体としては微妙──それが僕の評価である(激賞する人はきっといると思うが・・・)。
クラムボンの原田郁子によるテーマソングは秀逸。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。
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