映画『アフタースクール』
【5月24日特記】 映画『アフタースクール』を観てきた。あの『運命じゃない人』の内田けんじ監督の最新作──『運命じゃない人』を観た人に対してはそれだけで充分すぎる宣伝文句だろう。観ていない人に対しては「えっ、そんな凄い映画だったの? じゃあ、次の奴、見なきゃ」と駆り立てる効果もあるかもしれない。
ということもあってか、初日初回は満員立ち見。仕方なく2回目を待ったがやはり立ち見が出た。
自ら脚本を書く内田監督はともかく脚本に凝る人である。練りに練る人である。昨年の映画で言えば古沢良太の『キサラギ』に通じる部分がある。そう、真骨頂は仕組まれたトリックだ。
前作『運命じゃない人』では時間軸を交錯させた3部構成で、観客をあっと言わせてくれた。よくまあこんな手の込んだことを考えたなあと思わせる脚本であった。
で、今作も前作の観客の期待を全く裏切らない。今回もパズルである。だから、筋は書けない(笑)。ほんのさわりであっても下手に書くとトリックを阻害してしまうような気がするから。
大丈夫、心配しなくても、予備知識なんかなくても、いやむしろないほうが充分楽しんで見られる。例によって最初のほうはいろんなことの繋がりが今イチ理解できないまま進むのだが、そのこと自体が仕組まれたトリックなのだから、あまり深く考えずだらーっと見ているのが良い。
そうすると次第にいろんなものが繋がってきて、そして得意のどんでん返しがあって(と言うか、観客が騙されていたことに気づくだけなんですけど)、やがて全貌が見えてきて全てがストンと腑に落ちる──それが内田けんじの醍醐味である。
ただし、内田監督はそんなトリックに終始するトリックおたくではないのも確かである。しっかりした人間観察力に基づいて人物像を練り込み、登場人物を単なるストーリーの運び手に終わらせず、そこに言わば生身の人間を描きだそうとするのである。
前作が評判になったため、前作をはるかに凌駕するキャストで映画を撮れるようになった。もう今回は「それ誰だっけ?」という役者は主演・共演レベルにはいない。しかし、そうやってメジャー感が少し出てくると、単なるトリックに終始したくないという監督の思いは少し薬臭いものになって現れてくる。この辺はとても難しいなあと思う。ただ、やはりその辺りはこの監督を見る上で評価してあげるべきことなのだと思う。
そういう意味で大泉洋は非常に良かった。この人はタレントとして先に売れてしまった人だけれど、役者としてもなかなか良いと思う。良い意味でも悪い意味でも「如何にも」な中学校教師像がよく出ていたと思う。
佐々木蔵之介、堺雅人、常盤貴子、田畑智子のメインどころもさることながら、北見敏之と山本圭が非常に印象的だった。
ともかく今作も脚本の構成が見事で、上級のエンタテインメントであると思う。ただ、『山のあなた』みたいな映画を観た直後だと、どうしてもなんかテクニックに走った作品に見えてきてしまうのだが、まあ仕方がないか。あまり考えずに楽しむのが良いだろう。監督に騙されて「あっ」と叫ぼうではないか。
スタッフロールの後にもうワンシーンあるので慌てて席を立たないように。そのワンシーンによって、最後まで繋がらないままであった最後のピースがぴたりと収まる。
そういう種明かしの仕方を見ても、なんと観客に対して親切な監督なんだろうと感心する。ただし、それでも脚本が明示的に全てを語りつくすわけには行かないのであって、だから見終わってから自分で振り返ってみると、「そうか、あそこのあれはそういう意味だったのか」とか「なるほど、あれがこうなってこれと繋がって来たのか」などと思う点が山ほど出てくる。
この反芻が内田映画のグリコのおまけなのだと思う。非常に知的なエンタテインメントである。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。
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