『ダンシング・ヴァニティ』筒井康隆(書評)
【5月26日特記】 何の予備知識もなしに読み始めて、しまった、こんなしんどい本とは知らなかった、と思ったのが最初の感想。とにかく繰り返すのである。
例えば冒頭のシーンで言うと、美術評論家の男(この男がこの物語を一人称で語って行くことだけは終始変わらないのだが)が部屋で書きものをしていると出戻りの妹が呼びに来る。誰かが家の前で喧嘩していると言うので行ってみるとヤクザが学生を角材で殴り倒すところだった。
かと思うと不意に元のシーンに戻って、書きものをしている評論家を妹が呼びに来て、表に出てみるとやはり喧嘩をしているのだが、今度はヤクザ者同士の喧嘩で、武器は拳銃と短刀だ。
で、そうこうするうちに3度目の繰り返しになって、今度は相撲取り同士の喧嘩だ。
かと思うと不意に今度は全く違うシーンで、死んだはずの父親が絽の着物を着て部屋に入ってくる。ほんでこれがまた少しずつ形を変えながら3回ほど繰り返す。そんなことの繰り返し。
なんじゃ、こりゃ!
いきなりこんなパラノイア的な文章に出くわすと、こっちの頭までおかしくなってしまいそうだ。なんなんだ、この話は!?
と憤りながらも辛抱してもう50ページほど読み進むと、その美術評論家の友人の精神科医が出てきて、彼の夢の分析をしてみせる。
そこで初めて、ははあ、これはこの男の夢の話だったのかと気がついて少しすっきりするのだが、この精神科医は「君は今もその夢から醒めていない」などと言うし、現にこの診察室のシーンがこれまた形を変えながら繰り返すことになるから、どこまでが夢でどこからが現実なのか読者はまた路頭に迷ってしまい、再び「なんじゃ、こりゃ」に陥ってしまう。
若い読者は最後にこの混乱がきれいに整理されて説明がつくことを期待するのかもしれないが、僕はそんなことはさらさら思わずに読み進んだ。大体、そんなにきれいに説明がつくようでは作家の世界観を体現していないだろう。
現に今目の前にある世の中はそんなに単純なものではないはずだ。でも、今目の前にある世の中はここまでぐちゃぐちゃではないではないかということになるが、それが小説的な世界なのである。そして説明のつかない物語で読者の心を揺さぶるのが作家の技量なのである。
読み終えたときのこの不思議な、穏やかで哀しくて、救われたようで諦めたようで、終わったような元に戻るような感覚は何だ?
僕はこの『ダンシング・ヴァニティ』というタイトルは言い得て妙だなあと思った。それが最後の感想。
ともかくめちゃめちゃに入り乱れて繰り返すのであらすじを書いても仕方がないし、それをもう少し整理したあらすじにしてここに載せるのはなおさら掟破りだと思うので、これ以上ストーリーには触れないことにする。
君もげっそりしながら読みたまえ。読み終わった時にどんな感慨が待っているのか僕は保証する限りではない。しかし、僕と同じくらいの感慨が手に入る読者も決して少なくないのではないかと思う。ま、読者の年齢にもよりけりではあるが。
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