『西の魔女が死んだ』梨木香歩(書評)
【5月30日特記】 映画の予告編を何度か見て、見ているうちに良さそうな映画だなという気がして来て、たまたまそんな時にこの原作本を見つけた。
「児童文学」という乱暴な括りが適当かどうかはともかくとして、うんと若い人向きの本であることは間違いない。少なくとも僕のような汚れっちまった大人(いや、枯れ始めた大人かな?)が読んでも(帯の宣伝文句にあるように)最後の3ページに涙があふれて止まらないということはない。
でも、それは大人には理解できない本だということではないし、大人が読んで面白くない本でもない。是非とも人生のうちで一番感受性の強い時期に読んでほしいと、もうそれが不可能な読者として願うばかりなのである。
「西の魔女」というのは主人公の中学生まいの母方の祖母である。イギリス人だ。
別に彼女は黒い帽子をかぶって箒に乗って飛んでいる訳でもなく、野草をぐつぐつ煮詰めて毒薬を作っている訳でもない。
ただ、薬草やハーブに関しては深い知識を持っているし、祖母の祖母には実際予知能力があったと言う。そして、なにごとにも揺るぎない自信と自主性をもって行動する祖母は自ら魔女である(「まいの思っているような魔女とは、ちょっと違うかもしれませんけれど」)と名乗り、いやなことがあって学校に行けなくなり、祖母の家に逃げこんできたまいに毎日の「魔女修行」を勧めたのだった。
祖母の家での田園生活も、感性豊かな年代のちょっとした反応も、非常に鮮やかに描かれている。いつまでもこのまま読んでいたいような心地良ささえあるストーリーなのだが、逆にこの手の話をどう終わるのだろうかと気になってくるのである(大人の読者って奴はしようがないのである)。
タイトルからしても、あるいは書き出しの文章からしても、祖母が死ぬのは明らかである。しかし、祖母が死んでまいがわあわあ泣いて終わるというのではあまりに残ないし、かと言っていきなり、祖母は死んだけど私はこんなに強い少女になりましたというのではこれまた空々しい。
そのどちらでもない、ちょうど良い感じの終わり方に向かって筆を走らせる作者の息遣いが感じられる。そしてタイトルに違わず、そこにはちゃんと魔法が出てくるのである。この辺の感性がこの作家を作家たらしめているのだと解る。
併録の『渡りの一日』はまいの後日談であり、落語の三題噺みたいな作品だが、作者の筋運びの巧さを改めて物語る掌編である。
重ねて書くけれど、是非とも主人公と同年代の少女たちに読んでもらいたい。
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