映画『Sweet Rain 死神の精度』
【3月23日特記】 映画『Sweet Rain 死神の精度』を観てきた。なかなかいい感じの作品だった。
『美女缶』(観てないけど)で一躍有名になった筧昌也監督+プロダクションは ROBOT だ。
原作は伊坂幸太郎。僕は読んでいない。僕が読んだことがある伊坂作品は僅かに2作だが、他に映画化されたものを2作観ている。正に"映像作家の食指が動く小説家"と言って良いのではないだろうか。読んでいて情景が浮かんでくる描写力であり作風であり、次々と映像化されるのもむべなるかなという気がする。
7日後に不慮の死が予定されている人間を観察し、"実行"か"見送り"かを判定する死神の話。たくさんいる死神のうちの1人=「千葉」を演じるのが金城武だ。
この金城が、人間とは感覚も知識も微妙に異なる死神という存在を非常に巧みに演じている。コミカルであり、同時に存在感があり、そして死神のくせに妙にピュアである。
そして、千葉の上司は黒い犬。テレパシーで千葉と会話しているということなのか、画面では無音で字幕が出る。この犬のディアの演技も非常に良かった。
冒頭から非常に作りものっぽいCGである(メルヘンチックと形容している人もいるが、僕は違うと思う)。このわざとらしい VFX は意図したものなのだろうなと思った。このトーンが全体を貫いているのである。
そして、役者が非常に良い。
主演の金城武については先ほど触れたが、この死神に判定される人間が3人出てきて、それが小西真奈美、光石研、富司純子なのだが、この3人が三者三様に良い。特に小西。暗くておどおどした薄倖の娘という感じが非常によく出ている。
原作では6篇の連作短編なのだが、ここではそのうち3篇を採用したオムニバスになっている。
で、実は、この3篇を貫く、ある"からくり"があって、この"からくり"こそがこの映画の肝であるようなのだ。製作者側は観客が終盤になって初めてこの"からくり"に気づいて驚き感動してほしいと考えたのだろうが、残念なことに僕は中盤の初め辺りで完璧に見抜いてしまったのである。
だから、今イチ楽しめなかった。
以下はネタバレとまでは言わないがネタバレカケなので、これから映画を観る人は読まないほうが良いと思うが、死神・金城が30年前のヤクザの言葉を引用したことと、石田卓也が「音楽は嫌いだ」と言ったことが結びついて、瞬時に謎が解けてしまった。
後から考えれば、「なるほどあのシーンでのあの台詞はそういう意味だったのか」「そうか、それであれとあれが繋がるのか」と感心してほしいところだろうが、僕に対しては失敗してしまった。それはストーリーを進行させるためだけの台詞が多すぎたのではないだろうか?
たとえば金城が口癖みたいに言っていた「まあね」──ああいう台詞をもっと散りばめておけば"からくり"はもう少しカモフラージュできたのではないかな。
僕はその時点で直接ストーリーと関係のないいくつかの台詞(終盤のラジオの「2002年のワールドカップから四半世紀」というアナウンスも然り)を全部繋げて読み切ってしまったのである。
自慢しているのではない。こういうのって、あー、つまらない、と言いたいだけだ。
同じ映画館から出てきた2人の女性客が、2人とも小説を読んでから映画を観たみたいで、「繋げてきましたねえ」「うん、繋げてきましたよねえ」と嬉しそうに頻りに言ってたけど、ということは原作では繋がってないのか?
いずれにしても、これは原作に負うところなのだろうけれど、とても良い話なのである。そして、原作を読まずにこんなことを書くのはおかしいが、でも、間違いなくこの原作の良さをそのまま映画に写しかえることができたのではないだろうか。
そう、富司純子と金城武のやり取りを聞きながら、とっても良い気分で見終えることができたことだけは確かだ。これでネタが早くばれてなかったらもっと褒めたかもしれないけど。
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