映画『マイ・ブルーベリー・ナイツ』
【3月30日特記】 映画『マイ・ブルーベリー・ナイツ』を観て来た。
ウォン・カーウァイ監督作品を観るのは『恋する惑星』以来12年半ぶりである。その間『ブエノスアイレス』も『2046』も観ていない。『天使の涙』はひょっとしてTVで観たかも(記憶が定かでない)。『花様年華』は確かにTVで観た記憶があるが、同時に「しんどかった」という記憶がある。
ノラ・ジョーンズは今まであまりちゃんと聴いたことがない。デビュー当時に大評判になったのでちょっと試聴してみたが「綺麗な歌だけど何の変哲もないな」と思ってそれっきりである。今回映画で観るとジャケ写で見るよりずっと濱田マリに似てる気がする。
さて、本題であるが、ロード・ムービーである。恋愛映画という分類をする人もいるだろうが、僕はあまりそういう見出しをつけたくない。
NYのカフェの店主が女性客と出会う。店主はマラソンを走るためにNYに来るが、いつの間にかこのカフェを経営している。ロシア人の彼女がいたが、部屋の鍵を残して去ってしまう。
女性客もまた彼氏に振られたばかり。こっぴどい振られ方をしたのに、まだ思いを断ち切れない。
店主の男がジュード・ロウ、客の女が映画初出演のノラ・ジョーンズである。彼女は店でいつも売れ残るブルーベリー・パイを食べる。そして、それ以来毎日通ってくるが、ある日ぷっつりと姿を消してしまう。
この映画を観て最初に感じたのは"色"である。
看板、ネオンサイン、服装、壁や家具、食品、そしてその他の組合せ──こういう色彩は日本の国内ではあまり見られない。日本の映画ではまず滅多に描き切れないカラーなのではないか。非常にアメリカっぽい。でも、ひょっとするとアメリカ人だとここまで鮮明に発色してなかったのではないかという気もする。
アメリカの色であり、同時に王家衛(ウォン・カーウァイ)の色なのである。
そして、パイにかけられたクリームのシズル感とか、パイの食べ残しの皿に群れるアリとか、鼻には鼻血が、唇にはパイについていた砂糖がこびりついたノラ・ジョーンズの寝顔とか、いちいちそういう映像がインパクトを持って迫って来るのである。
旅路のノラと絡んでくる登場人物がそれぞれ人間的で、哀愁に満ちている。
別れた妻への思いが断ち切れず、断酒会に通いながら毎晩飲み過ぎてばかりの警官デイヴィッド・ストラザーン。その彼に今の彼氏を見せびらかすように同じバーにやってくる若い元妻レイチェル・ワイズ。父親に対するコンプレックスの裏返しでトランプ博打にのめり込む若い女ナタリー・ポートマン。
何故か売れ残るブルーベリー・パイとか、鍵を貯めておくガラス瓶とか、店の防犯用監視カメラとか、断酒会のチップとか、あるいはジュード・ロウの店から道路を隔てて反対側の家に帰らずに旅立ってしまうことを「一番遠回りして道路を横断する」と表現するとか、ともかくそういう episodes と言うか incidents と言うか、あるいは小道具と言うか、そういうもののあしらい方がもう異常に巧いのである。
とても良い映画だった。見終わったときの浮遊感が凄い!
男が旅立って女が帰りを待つというのが普通の設定だがその逆を行った、とか、マラソンランナーだった男がずっと店でじっとしている、とか、パンフレット読んで初めて気づいたことがいくつかあった。そういうことを確認しながら是非とももう一度観てみたい映画である。多分更なる新しい発見もあると思う。
2人が近い距離で喋っているのに、あえて2ショットではなく一人ひとりのクローズアップを交互に切り替えて行く手法が特徴的だ。吐く息の白さとか、キス・シーンの構図とか、ともかくカメラが美しい。カメラマンは『デリカテッセン』や『ロスト・チルドレン』のダリウス・コンジである。なるほどなあと納得する。
じんわりと来た。とてもとても良い映画。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。
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