『赤朽葉家の伝説』桜庭一樹(書評)
【3月25日特記】 面白いと聞いていた桜庭一樹。確かに面白くてすいすい読める。先が気になってなかなか本を置けない。3部構成で山陰の旧家・赤朽葉家三代の女性を描く壮大さが良い。そして、それぞれの部が、ひょっとして違う作家が書いたのではないかと思うくらいタッチが違う。
第一部は昭和の中期。それがまるで遠い江戸時代の伝説のように描かれている。うむ、確かに僕はよく知っている時代である。でも、1971年生まれの桜庭にとっては江戸と同じように遠い昔なのかもしれない。このパートが一番民話っぽい感じがする。昭和という時代を民話に仕立て上げようとする感覚を大変面白く思った。
第二部はバブルの前後で、登場人物も増えて筋もやたらとめまぐるしくなり、如何にも時代っぽい面白さがあるのだが、残念ながら明らかに少し書き急いだ感がある。
まず「この時代はこうだった」という説明があり、それから「この登場人物はこう思ってこうした」というストーリーがあり、それが交互に繰り返される。全般的には面白いのだが、同じ構成が繰り返されるために読んでいて非常にリズムが悪いのである。
これでは小説を読んでいるときに背後に作家の影を感じてしまうのである。作者が読者の前に姿を現すのはあまり褒められたことではない。もっと時代のエピソードをストーリーの中に取り込んで、登場人物の行動を通じて時代を描く形になるまで練り込んでほしかった気がする。
さて、第一部は山の民サンカの末裔であり、予知能力を持つ「千里眼奥様」赤朽葉万葉の話、第二部はその娘であり、かつて中国地区全土を制覇した女性暴走族の頭であり、後に大ヒット少女マンガ作家となった赤朽葉毛毬、そして第三部はと言えばさらにその娘・赤朽葉瞳子が主人公なのだが、彼女は先代・先々代と比べて、その名前の凡庸さの示すとおり何等超能力めいたものもカリスマらしきものもない。だからこそ瞳子は悩むのであるが、それを読まされる読者は一気に退屈してしまうことになる。
それを避けるために、この第三部では突然「幻の殺人事件探し」という要素が加えられて、趣きが突如として変わり、小説は新たな息吹を吹き込まれることになる。
このあたりの構成がまことにもって見事である。多分そういうところが桜庭一樹の真骨頂なのだろうなあと思う。
ただし、この第三部になると、こういう書き方をすると両方のファンの人に申し訳ないのだが、まるでよしもとばななみたいな幼稚さに満ちた文体になるのである。これ、わざとなんだろうか?
うーん、そのために少し薄くなっているような気がする。断わっておくが、それでも確かに面白いし、最後になって話が最初と繋がるのも非常に練れた構成だし、瞳子の成長物語として読んでもなかなか爽やかなものがある。でも、なんかなあ、書きようによってもっともっと良くなる気がするのである。
うん、いずれにしても今後もっともっとよくなる作家であるような気がした。趣味に合うかどうかは読者による。でも、多分あまり趣味が合わない人が読んでもかなり面白い小説なのではないだろうか。そういうところに大いなる才能を感じさせてくれる作家であった。
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