『阪急電車』有川浩(書評)
【3月31日特記】 かの有名な図書館シリーズも、賞を獲った『塩の街』もなんとなく読む気にならなかった。でも、このタイトルと表紙を見たらこの作品は読まずにいられないのである。
何故なら僕は幼少のみぎりから阪急宝塚沿線で育ち、その後10年ばかり東京に行っていたが、関西に戻ってからはまた阪急神戸線で通勤する生活を続けているから。あのあずき色の列車には思い出も思い入れも尽きないものがある。
読み始めて思ったのは、あ、随分テクニックのある、巧い作家なんだなあということ。「巧くない作家」なんてまるっきりの形容矛盾だと思うのだが、近年は現実にたまにそういう作家に出会うから始末に負えない。そういう作家がいると「巧い」ということが作家の売りになったりするのも困ったもんだ。
ま、何はともあれ、この作家は大変巧い。設定のしかたも筋の作り方も、人物の造形も台詞も。読んでいて特に感じたのは、女の子のこういう反応、よく書けるもんだ、ということ。ところが僕が男だと信じていたこの作家は実は女性で、しかし、桜庭一樹みたいに男の名前で書いている女流ではなく、有川浩もアリカワヒロシではなくアリカワヒロと読むそうな。
なあんだ、そうか、やっぱり女性じゃなきゃ書けないよね、と逆に大いに納得した。
阪急の中でも短い支線を除けば一番地味な今津線を、宝塚から西宮北口まで行ってまた宝塚に戻る1駅ごとに章を設け、それぞれの章で主人公は異なるのだが他の章の主人公たちと少しずつオーバーラップして行くというこの章立てが「なかなか考えたな」という感じ。粋だ。
で、恋愛メインと言って良い構成なのだが、この恋愛が、破局を迎える恋愛を含めて、いずれもなかなかいい恋愛ばかりなのだ。そして、若い読者は恋愛にばかり目が行くかも知れないが、ここには「胸のすく」ような話がたくさん登場する。不心得な奴らをやっつける話。
不心得な奴らって誰かと言えば、ある章では若い男だし、ある章ではおばさんたちだったりで、決して特定の年齢や性別で切り分けようとはしてない。そして、そういう不心得な奴らをやっつける奴らも決して完璧ではない欠点のある人間として描かれている。
そういう意味で視点がとても公平で、この公平さに再度「胸がすく」のである。
寝盗られた男の結婚式に純白のドレスで乗り込んで行く勇ましいお姉さんの話があるかと思えば、小説の中で何組か素敵なカップルができあがるし、お互いに親友になりそうな女たちも描かれていたり、また単なる行きずりなのになんだか心温まるエピソードもある。
これは映画化の話が引く手あまただろうなあ。当然阪急電車の全面協力の下にロケ撮影をしてほしいものだ。ああ、情景が目に浮かぶ。あの役にはこの俳優かなあなんて想像も広がる。
これはそういう作品である。
言うまでもないが、作者は実際にこの今津線沿線に住んでいるらしく、だからこそ描写は鮮明で、そして何よりもこの路線に対する愛情に満ち溢れている。だから、読後感はすこぶる爽やかである。とても良い連作短編を読ませてもらった、と何故か感謝の気持ちまで生まれてくる。
難点をただひとつだけ。「西北」と書いてルビも振っていないところが何ヶ所かあるのだが、一般人にはこれは「にしきた」とは読めるはずがない。まず間違いなく「せいほく」と読むだろうし、それが「西宮北口」の略であると分かるのは恐らく阪神間の人間だけであろう。
これも愛着の表れであろうとは思うが、全国の読者のために全個所にルビを振っておきましょう(笑)
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