『ゴールデンスランバー』伊坂幸太郎(書評)
【3月7日特記】 必ずしも大多数の読者にとってそうではないのかもしれないが、僕がこの本を読んで一番小気味良かったのは、それは主人公が権力と闘う物語であるという点だった。
これは主人公の青柳という青年が、何が何だか分からないうちに国家によって首相暗殺犯に仕立て上げられてしまう小説である。
何の犯罪歴も思想性も持たない一介の青年をなぜ国家が犯罪者に仕立て上げようとしたのかについては説明がなされない。そして、そのことによってこのストーリーは逆に不気味なリアリティを身につけている。
また、理由が語られないことによって読者は主人公の青柳と同じ立場に放り込まれ、同じ当惑や孤立感、無力感、恐怖、絶望といったものを共有することになる。このあたりがこの小説の構造的な妙である。
なにしろ国家権力を敵に回してしまったわけで、これは非常に分が悪い。にも拘わらず、この主人公が真っ向から国家権力にぶつかって1つずつ粉砕して行く──というようなマッチョ系の話であったなら、もちろんそういう大活躍に快哉を叫ぶ読者はいるだろうが、一方でやや嘘っぽくなってしまうのも否めない。
この小説の主人公・青柳は決してそういうスーパーヒーローではなく、また馬鹿でもないので正面突破はしない、と言うか、そういうやり方は諦めるのである。しかし、彼にできるギリギリのところで、逃げながらではあっても決して権力に屈することなく渡り合って行く。
そして、彼の無実を信じて、あるいは単に権力が嫌いだからというだけの理由で、彼に協力する人間が何人が出てくる。なかなか心躍る設定ではないか。
この手の小説に欠かせないのは、筋を引っ張って行く力である。話を小出しにし、小さな山場を次々に重ね、「サスペンス」の字義どおりの宙ぶらりんの感じを維持することである。そういうことをさせると、この伊坂幸太郎という人は非常に巧いのである。そして文章もよくこなれているので、読んでいて疲れないし、まるで映画のように情景が浮かんでくる。
若い世代には求めるべくもないが、我々の世代は『ゴールデンスランバー』というタイトルを見た途端に「ああ、ビートルズの『アビーロード』の最後のメドレーの中の1曲だ」と思い当たる。
この曲が何か隠しテーマになっていたり、あるいは通奏低音のような感じなのかな、と思って読み始めたら、小説のかなり初めの部分でこの歌がそのまんま登場してきたので、ちょっと「あらら」という感じはした。
せっかく良い題材を持って来たのだから、もう少しひねったあしらい方はなかったのかな、という気もする。ただ、伊坂幸太郎という作家もまたビートルズ解散後に生まれた若い世代に他ならないのであって、思い入れたっぷりに描かれてはいるけれど、所詮僕らの世代(と言っても僕でさえ「遅れてきたビートルズ世代」に過ぎないのだが)の思い入れとは質が違うのだろう。
まあ、それはそれとして、やっぱり筆の立つ作家である。非常に面白く、かつ、読み応えがあり、そして胸のすく思いがした。
しかし、それにしても、映画『それでもボクはやってない』を観て、それからこの小説を読んだら、もう何があっても警察なんか信用するもんかという気になる。できればこういう具合に、権力に負けずに生きて行きたいと思う。
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