日銀総裁空席に思う
【3月20日特記】 日銀総裁がついに空席になった。この間の自民党と民主党のやりとり、これで良いのか!?という思いもあれば、本当に解りにくいなあという思いもある。
でも、新聞もTVもそうなんだけど、我々ブロガーが書くべき記事は決して「自民も民主も同罪」とか「福田もダメ、小沢もダメ」みたいなことではないと思う。そういう言説が国民の政治離れに拍車をかけてしまうのである。
ここは無理にでも、自民と民主のいずれに理があるかを打ち出すべきなのである。
そして、それを材料に国民の議論を促すべきなのである。万機公論に決すべし。
そのために我々(ブロガー)は英知を持って判断し、勇気を持って発言すべきなのである。
僕は現在では民主党の考えを支持している。
当初は民主党の考え方に疑義を抱いていた。
「財金分離」などという一言のスローガンで説明しようとするから余計に分かりにくくなっているのだが、確かに大蔵省/財務省の元事務次官が日銀のトップに座ることには問題があるかもしれない。
だが、しかし、ならば民主党はこの5年間の武藤氏の仕事ぶりを全面否定するのか?
福田首相の言うように、経歴だけで人の仕事ぶりを判断することはできないのではないか?
民主党はこの5年間「やっぱり武藤氏が副総裁でダメだった」という総括をしているのだろうか?
「元財務次官ではあったけど、この5年間日銀副総裁を大過なく務めた」という評価があっても良いのではないだろうか?
──というのが当初の僕の考えだった。
ただ、その後の民主党の主張を聴いているうちに、問題は候補者個人の仕事ぶりや資質に尽きるのではなく、財務省の事務次官から半ば天下り的に日銀総裁になるというルートを断ち切ろうという、言わば構造改革的な意味合いがあるということを理解した。
とは言え、日銀総裁を務めるともなると知識・経験ともにかなりのレベルのものを要求される。財務省OB以外にどれだけ人材がいるのか? その辺のことは僕にはよく分からないままである。ただ、そういう現象的な要請から慣れ合いに陥って行くと構造改革というものはなし得ないのである。
そんなことを思っていたら、自民党から田波総裁案である。これが逆に僕を民主支持に転じさせる決定的要因となった。
前述の通り、民主党は武藤氏の人柄を問題にしたのではなく、財務省出身であると言うことを理由に不同意にしたのである。そこへ更に同じ財務省出身者を充ててくるところに福田首相の悪意と誤謬と固陋を感じた。
確かに、「財務省出身だというだけの理由で総裁に適しないというのはおかしい」という福田首相の主張も解る。ただし、その場合は「日銀総裁に優秀な人材を選ぶのが第一義で、財務省の改革とか金融の独立とかいうのは二の次だ」という考え方に与することになる。
百歩譲ってそれでも良いとして、でも、現に民主党は財務省出身者の総裁就任には反対なのであって、武藤氏に反対したのに田波氏に賛成できるはずがないのは誰が考えても明らかである。そして、民主主義が多数決の原理で運営されていることは福田総理も充分解っているはずではないか?
そこへ無理やり田波氏を充ててきたのは「民主党の反対で日銀総裁が空席になった」と国民に印象づけるために福田が謀った悪意であるとしか思えない。
もしも、財務省出身であるという理由で蹴るべきではないという姿勢を貫き通したいのであれば、再度武藤氏を推すべきではないか? いずれにしても不同意になるのは覚悟の上なのだから。
ともかく今回の騒動は自民党の不手際によるものだと僕は結論付ける。もっと早くに民主に打診していれば、もっとすんなりと(財務省出身者ではないだろうが)適任者が選ばれたのではないだろうか?
ブログに政治的なことを書くのは勇気がいる。「政治なんてダメだ」と書くのは容易いが、「A党ではなくB党の主張が正しい」などと表明しようと思うと、これはかなり勇気のいることだ。多分あらゆるテーマの中で2番目に勇気がいる題材だと思う。
だけど、「自民も民主も訳わからん、福田も小沢も勝手にやってろ」では青少年、あるいは国民はどんどん政治離れを加速させ、「政治なんかなくても生きて行くのに支障はないんだ」という誤った理解が蔓延し、政治はますますごく一部の人間の手に自在に握られてしまい、そして世の中はどんどん悪くなって行くのだ。
たまには勇気を持って政治的な旗幟を明らかにするのも必要なことだと思う。そして、それよりも、真に必要なことは、そういうことを機会に広く議論を興して行くことだと思う。
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Comments
そもそも自分自身の持論がないのなら
コメントそのものの意義がないような気がするのは
気のせいだろうか。
Posted by: エロゲ好き | Saturday, April 12, 2008 03:21