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Thursday, February 28, 2008

会社よ奢るなかれ

【2月28日特記】 この何年間かずっと思っていることがある。それは「会社よ、調子に乗るなよ」ということだ。

そういう風に思えることが至る所にある。

ひとつ例をあげると、ウチの会社では社員が外部企業等から講演等を頼まれると、そのギャラは全額会社に没収される。

「会社の業務を経て得た知識を基に講演し、その講演の対価として支払われた金なので、当然それは個人の収入ではなく会社の収入となるべきである」などと、ぼんやり聞いているとうっかり騙されそうな、巧妙でまことしやかな屁理屈をこねてくるのである。

そういうのを聞いてると強く思うのである。会社よ、思い上がるなよ、と。

ある意味、俺たちは会社に食わせてもらっている。しかし、裏返せば俺たちが会社を食わせているということでもある。

会社なんて、社員がいなければ、ただの容れ物ではないか。一銭だって儲けられやしない。それを、社員に支払われる給料は会社のおかげ、給料を払うための売上も(社員のおかげではなく)会社のおかげみたいな言い方するなよ、と言いたい。

持ちつ持たれつなのだ。社員をもっと大切にしてみろ!

俺という人格がなければ講演会は催せないのである。俺という人格がなければギャラも払われないのである。俺という人格があって、その人格が真面目に仕事に取り組んだから、講演ができるほどの知識が構築できたのだ。なんでもかんでも会社のおかげみたいに偉そうに言うな! 条件はフィフティ・フィフティのはずだ。

もしも全てが会社のおかげであると言うなら、会社を辞めてから会社で得た知識をもとに新たな事業を興したり教鞭を執っていたりするOBたちからマージンを取るべきである。

もしも仕事で得たものを個人の収入にしてはならないと言うのであれば、休みの日や退社後に通勤定期で移動した社員から電車代を徴収すべきである。

公と私は、そして組織と人間は、そんなにきれいに切り分けられるものではない。会社もそんなことは知っているくせに、都合の良いときだけ嵩にかかった言い方で社員から簒奪しようとするのである。

公か私か、組織か個人かがはっきり切り分けられないのであれば、方法は2つしかない。会社と社員とで半々にするか、全額社員に与えるかである。全額会社というのだけはありえない。

会社は常に社員の上に立とうとする。会社は常に全能の神であり、社員は施しを受ける迷える子羊なのである。会社がお代官様で、社員はお侍さんが守ってくれるおかげでなんとか食って行ける無学で哀れな農民なのである。

──そんな理屈に騙されてたまるもんか。会社よ奢るなかれ。もっと社員を大事にしてみろ。そうすることこそが働く者の士気に繋がるのである。

他にも似たような例はたくさんあるが、とりあえず講演のギャラの例を挙げてみた。で、そういうことで俺が会社に噛みつくと(と言っても実際には僕のところには誰からも講演を頼みに来ないので噛みつきようがないのだが)、会社は俺のことを銭ゲバだの、守銭奴だのと名付けるのだろう。

そういうイメージを植え付けて、一般労働者から浮いた存在に仕立て上げようという、ありきたりな分裂策動である。

でも、まあ、たとえ「金がほしくてさもしいことを言っている見苦しい男だ」と思われても、そういうことでちゃんと会社に噛みついて行くのが俺の仕事なのかな、などとサラリーマン人生の最終コーナーを少し先に見据えながら、そんなことを考えたりするのである。

少し難しいかもしれないが、言えることはひとつ:
ちゃんと働いている人間は堂々と主張して良いのである。

会社を甘やかせてはいけない。そして、自らも労働者であるくせに恰も「会社」という抽象物を体現する存在であるかのようにふるまっている社員たちにも鉄槌を加えなければなるまい。

奢るんじゃない。もっと社員を、同僚を大事にしてみろ。お前は会社じゃないはずだ。

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