映画『全然大丈夫』
【2月23日特記】 映画『全然大丈夫』を観てきた。
映画館に置いてあったチラシでこの映画を知って以来ずっと待ち焦がれていたのだが、関西でも漸く本日初日である。
僕としては珍しく割と間際に映画館に行って、「『全然大丈夫』の2:30の回、まだ大丈夫ですか?」と訊いたら、幸いにもチケット売り場の女性は笑ってくれた。
で、笑いながら「大丈夫ですよ」と言って渡してくれた整理番号は21番。うーむ、残念、これなら彼女は「全然大丈夫ですよ」という返答ができたはずなのに。
しかし、それにしてもなんでこんなにすいているんだ?
みんなこの映画のチラシを見てこの映画を観たいとは思わなかったのだろうか?
あるいはチラシを見ていないのだろうか?
予告編も見ていないのだろうか?
不思議。
なによりも荒川良々主演で映画を撮ろうという心掛けが良いではないか。
監督・脚本の藤田容介という人はぴあフィルムフェスティバルから出てきた人で、この映画は第4回日本映画エンジェル大賞受賞作ということになっているが、彼自身は最近は大人計画周辺で仕事をしてきた人らしく、この作品も完全に荒川良々「あて書き」だそうな。
筋は書いたって仕方がないだろう。だって、このストーリーを紙に写したものを読んでどう思う?
たとえば僕がこの映画の出資者の1人だったとして、この映画の企画書を読んで果たしてこの企画を通しただろうか?
あて書きである限りはキャストに荒川良々という名前があったはずだから、それなら通しただろうと思う。しかし、もしもそこに荒川の名前がなかったらどうだろう? 企画書を読んで「何これ? これのどこが面白いの?」と言わなかったとは言い切れない気がする。
こんな話の企画書がさらっと読まれて「何これ? これのどこが面白いの?」と言われたりしないように書くのが企画書を書く技量である。そして、仮に荒川良々の名前がなくても、さらっと読んで、なんか面白そうだと引っ掛かって拾い上げるのが企画書を読む眼力である。
しかし、いくら技量のある書き手が書き眼力のある読み手が読んだとしても、紙の上の文章と出来上がった映画との間には明らかにギャップがある。そのギャップこそがクリエイティビティというものの存在だと僕は思うし、そういう意味でこの映画における藤田容介は遺憾なくクリエイティビティを発揮していると思う。
そして、できあがったのが全然大丈夫な映画だ。まあ、見ればわかる。全然大丈夫。「癒し」なんかではなくて「大丈夫」なのである。いや、変に解釈なんかしないでよろしい。全然大丈夫なのだから。
荒川良々はともかくとして、僕はこの映画で木村佳乃を生まれて初めて良いと思った。こういう不器用で色気のない女ってぴったりな気がする。彼女の女優生活で初めてのはまり役のように僕は感じた。
ココリコの田中直樹が演じる骨董修復職人・湯原の顔にはなぜ赤い痣があるのか?
ストーリーの進行上は何の必然性もない。でも、彼が敢えて顔に大きな痣のある男ととして描かれているところがこの映画のひとつのミソである。この映画にはそういう小さなミソが山ほどある。
そんなニュアンス満開の中、この映画はなんだかわからないまま終わってしまうような映画ではなく、意外にしっかりとした恋愛映画である。荒川良々、岡田義徳、木村佳乃だけではなく、荒川の父を演じた蟹江敬三の恋のエピソードもまた嬉し。
ああ、いいなあ、恋愛って。片思いするのも良いし、振られて出直すのも潔いし、仄かにお互いの思いが伝わるのも素敵だし、的外れの相手に惚れられるのもまた捨てたもんじゃない。
きたろう、根岸季衣、伊勢志摩、江口のりこ、白石加代子ら曲者俳優多数。小さな役では安藤玉恵、村杉蝉之介、鳥居みゆきの3人が異彩を放っている。
で、小道具てんこ盛りで、美術さんはさぞかし楽しかっただろうね。
全編を通じて流れるエコモマイのハワイアン・ミュージックは曲そのものも演奏もともに素晴らしいし、この映画にも非常にマッチしている。ほんで劇中歌『コメ』のぶっ飛んだこと!
そしてなによりもこのタイトルが秀逸。いやホントに全然大丈夫。監督は弱い者に対して優しい目を向けているのではない。上から目線で手なんか差し延べられなくても、そもそも彼らは全然大丈夫なのである。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。
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