映画『歓喜の歌』
【2月3日特記】 映画『歓喜の歌』を観てきた。
特別面白そうな話にも思えなかったのだけれど、松岡錠司監督の名前に惹かれて。
松岡監督は『さよなら、クロ』以来かなと思っていたのだが、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』というのがあった(見てしまった)ことに気づいて、あちゃーという感じ。
んで、映画は金魚のアップから始まる。これを見て松岡監督のデビュー作『バタアシ金魚』を思い出したのは僕だけではないだろう。同作でスクリーン・デビューした筒井道隆も出演していることだし・・・。
で、んなことどうでも良くて、この映画、立川志の輔の創作落語が原作。「発案」としてテレビマンユニオンの重延さんの名前がクレジットされているんだけど、これは一体何なんだろう?
市営の文化会館の職員のいい加減な対応で、大晦日に、よく似た名前の2組の主婦コーラス・グループをダブル・ブッキングしてしまう。担当職員はそもそも市役所から左遷されてきたやる気のない男(小林薫)で、テキトーに説得してどっちかのグループに引いてもらおうとするのだがどっちも頑なに譲らず、にっちもさっちも行かなくなってしまうという話。
うーむ、この映画、やっぱりちょっと滑ってる、つか、やや凡庸。
話が上手く出来すぎてるっつうのもある。とても良い話なんだけどちょっと予定調和すぎる。きれいにまとめ過ぎて少し都合が良すぎる。
筋がそうなら役者もそうで、皆が同じリズムで演じてしまっていて、それを掻き回す役目がいない。他の訳者の呼吸を乱すような、破綻をもたらしてくれる役者、たとえば荒川良々とか徳井優とか、女優ならもたいまさことか、そういう役者を一枚噛ませておいたほうが良かったのではないか?
ここに出ている役者では片桐はいりや山本浩司なんかはそういうことができる役者なんだけど、台詞が少なかったり(片桐はいりなんて本当に顔だけ見せに来た感じ)本筋に絡んでこなかったり(山本浩司はラーメン屋の出前の役)だったのが残念だ。
主演の小林薫もまた弾けたコメディのできる人なのだが、何故か前半は滑り気味で後半は抑え過ぎの印象が残った。多分本人は同じトーンでやったと思うのだが、これは脚本や他の役者やカメラなど他の要素の影響でそう見えたのかもしれない。全体に同じリズムで撮り過ぎのような気がするんだよね、何度も書くけど。
とは言え、まあ、音楽の力は偉大であり、この監督にこういう素材を与えれば、終盤はちゃんと観客を持って行くべき所まで持って行った感はある。リフォーム店での話が良かったよね、特に。
この映画で一番光ってたのは田中哲司でしょう。こういう僻み根性丸出し男をやらせるとめちゃくちゃ合ってる。あと、書くまでもない名優だけど、渡辺美佐子もチョイ役なのにすごい存在感。
落語だと多分筋の飛躍に大笑いしながらついて行けるのだろうけれど、それをいちいちい映像化して行くとなるとちょっと辛かったか。最後は綺麗なコーラスで視覚から聴覚に逃げた。
でも、片方の創立20周年のセレブ・マダム合唱団はともかく、設立間もないパート主婦コーラスのほうもあそこまで上手いというのもどうか? リアリズムの観点だけではなくて、ストーリーを運ぶ上でもっと対比の工夫があって良かったのではないかな?
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。
Comments
日経夕刊に重延浩氏が「TVな日常」っていうコラムを書いていたの覚えてません?
そこで、志の輔らくごの【歓喜の歌】を映画化するきっかけになった話を書いてたんですよ。
私はそれを見て、この映画が公開になったら見に行こうと決めてました。
ここに、ありました。
http://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/3dd76523a24d323d3fee48db51d06b80
Posted by: kusukusu | Monday, February 04, 2008 00:17
> kusukusu さん、どうも(お名前からすると北アフリカの料理関係者ですか?)
情報ありがとうございます。日経朝刊しか読んでないもんで知りませんでした。しかし、そういう経緯となるとテレビマンユニオンからもうひとり「発案」者がクレジットされているのは何故なんでしょ?
Posted by: yama_eigh | Monday, February 04, 2008 09:41