映画『クローズZERO』
【11月10日特記】 映画『クローズZERO』を観てきた。大ヒット中の映画である。事実今日も立ち見が出る盛況。
そういうヒット作を見る時には力が入る。
現に大衆に受け入れられている魅力を自分も同じように体感/認識できるかどうか。
一方、巷の人気に流されてしまって批評する眼を失ってはしまわないか。
その2つの点で自分の力量が試されているような気になって、かなり気負ってしまう。特に今回のように、男同士/女同士/カップルなど性別の面ではいろんな組合せはあるが年齢的にはほぼ全員がミドルティーン~20代初めという中におっちゃんが独り混じって観るという環境もあって、なおさら気負ってしまう。
で、結論から書くと、大変面白かった。すんなりと楽しめた。これが受けるのは当然だと思う。若い人ばかりでなく上の年代にも受けると思う。別に貶すような点はないし、それが特に人気に流されたせいだとも思わない。
原作の漫画については僕は全く知らないのだが、今回の映画化に当たっては原作者から主人公を出さないという条件がついたこともあって、設定上舞台は同じ鈴蘭男子高校ではあっても時期は原作の1年前ということになっていて、従って登場人物もほとんど違うようだ。
話は単純で、身も蓋もない表現をしてしまうと、不良どもが高校の「てっぺん」を巡って覇権争いと喧嘩を繰り返す話である。
まず、思うのは、ともかく強烈なバイオレンス映画で全編殴る蹴るのオンパレードなのだが、これだけのボリュームの擬斗を撮るのはどれほど大変だったろう、ということだ。役者もカメラも演出も編集も特殊効果も、ともかくよく粘ったものだ。
で、これだけ登場人物が多く、しかもやたらと格闘シーンばかり多い中、それぞれのキャラがはっきりくっきり立っているところが見事だ。
主演の小栗旬は花男の花沢類とは大違いだが、どうやら花沢のキャラこそがかなり作られたイメージであったようで、今回の役には随分やりがいを感じてのめり込んだみたいだ。強烈な役柄だけに、今回巧く演じられたことによって強烈な存在感を観客たちに焼きつけたのではないだろうか。
そしてもうひとりの主演・山田孝之。すでに多くの経歴のある役者だが、こちらも今までのどの役とも違う。セカチューでも電車男でも白夜行でも出せなかった新しい味をちゃんと出し切っている。
それから、そのまわりの数多くの若い役者たち。みんな非常にとんがった印象を残した。──高橋努、桐谷健太、高岡蒼甫(見ながら「えっと誰だっけ、この優男」と思ったのだが途中で「そうか、宮﨑あおいの旦那か」と気づいた)、深水元基(これも誰かと思ったら『吉祥天女』で鈴木杏に迫ってたあの少年だ!)、渡辺大、遠藤要ら鈴蘭の不良ども、そしてチンピラやくざのやべきょうすけ、紅一点の黒木メイサ、それに彼らを囲む塩見三省、遠藤憲一、岸谷五朗ら大人たち(大人ったって刑事とやくざですけど)──それぞれが異彩を放って見事な群像劇になっていた。
ほんで、単に殴ったり蹴ったり血が流れたりしてるだけの映画に見えて、実は主人公は喧嘩は強くても人づきあいが苦手で、喧嘩が強いだけではてっぺんに立てなくて、てっぺんに立つために人として必要なことを学んで行くという成長物語になっているところがミソなのである。
映画が終わって周囲の反応に耳をそばだてていたら皆概ね「面白かったね」と語っていた。
僕はそういう若い人たちに是非言いたいのだが、今日の映画が何故面白かったか、どこが面白かったか、何が印象に残ったか、特に何か気づいたことがあったか、そういうことをもう一度じっくり思い出してみてほしいのだ。
それは夕日のシーンがきれいだったなあみたいなことかもしれないし、小栗旬とやべきょうすけが桟橋で話をしている時に何故突然ロングの画になったんだろう?とか、この映画はどうしてやべきょうすけが殺されるところから始めたんだろう?みたいなことかもしれないし、山田孝之登場のところで、あっ、カメラがぐるっと回ったなみたいなことかもしれないし、小栗の父親役の岸谷五朗が言った「鈴蘭のてっぺんを取ったら息子は組の後継ぎから身を引くだろう」という台詞の意味するところは何か?みたいなことかもしれないし、あるいは音楽という要素も非常に大きかっただろう。ともかくいろんなことがあるはずだ。
映画ってそういういろんなことが組み合わさった総合芸術なんだよ。君らが今日見てこの映画が面白かったのは決して何か一つだけの要素によるのではなく、そういう総合的な力だということを知ってほしい。
この映画はそういうことを知るのにうってつけの作品だと思う。やっぱり三池崇史ってすごい。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。


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