『夜明けの縁をさ迷う人々』小川洋子(書評)
【11月1日特記】 『野性時代』に連載された9つの短編が掲載順に並べてある。残念ながらあまり詳しいストーリーは書評に書き辛い。何故ならジャスト・ワン・アイデアで書かれた作品が多いから、少し現実離れしたひとつの特異な設定に基づいて展開されただけの物語が多いから。
もうひとひねり、あるいはもうひと波乱、おかずがもう一品ほしいような感じもする。
しかし、短く単純なストーリーが並ぶとは言え、ここにあるのは紛れもない小説世界、しかもかなり確立した小説世界である。ほんの小さなひとつの特異な設定がここまでの広がりを持ってくるところが、柴田元幸が「台所が異界と繋がっている」と評す所以だろう。
- 流し打ちしかできない野球選手の話
- 外遊中の教授の家に住みついた国立大学の食堂の賄い婦の話
- エレベーターの中で生まれて生涯をそこで過ごしたエレベーター・ボーイの話
- 客が物件を選ぶのではなく物件が客を選ぶ不動産屋の話
- 楽器の音を良くする涙を売って暮らす少女の話
- 少女と不思議なベビー・シッターの話
- 指圧師と客の老婦人の話
- 山奥の狩猟小屋を格安で買わないかと勧められて現地に検分に行った女流作家の話
- 高校の野球部の7番レフトに憧れて遠くから見守る女子高生の話
──この説明を読んだだけでは不思議な話となんでもない話が混在しているように思えるかもしれないが、実際にはいずれもかなり奇妙な話である。空恐ろしい話、残酷な話も少なくない。
そして最初と最後は野球の話であるが、この2つを読むとこの作家がいかに野球が好きかが良く解る。アメリカには「野球小説」という立派なジャンルがあるが、最後に収められた「再試合」の筆の走り具合はまさに「野球小説」の名にふさわしい見事なものだと思う。やっぱりこの人はかなり「筆の立つ」作家である。
単純な構造の作品の羅列ではあるが、その分読みやすく、そして読みやすい分だけ安っぽいというようなことは全くない作品群であるので、普段小説をあまり読まない人、ケータイ小説しか読んだことがないというような人に是非読んでほしい気がする。
小説と言われるものの中にはこんなものもあるのかときっと感心してもらえると思う。
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