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Thursday, September 27, 2007

自意識と安堵

【9月27日特記】 母を見ていると、僕は若いうちにそのことに気づいて本当に良かったと思う。

認知症に罹った母は今、「自分は学生時代あんなに勉強ができたのに、こんなにバカになってしまった。皆が自分のことをバカだキチガイだと嗤いものにしている」という強い屈辱感に囚われている。

でも、本当はそんなことはないんだ。僕は知っている。誰も僕のことにそんな興味なんかないんだ(つまりは、母に対しても興味がない)。

僕も母譲りの自意識過剰だった。でも、そのことに気づいて人生が軽いものになった。──誰も僕のことに興味なんかないんだ。

確かに僕のことをバカにしたり悪し様に言ったりする奴もいるかもしれない。しかし、それは全員でも大多数でもなく、無視するのが困難でないくらいの少数である。運が良ければ、彼らと話し合うことによって打ち解けて、もうバカにされたり悪し様に言われたりすることがなくなるなんてことだってありうるくらいなのだ。

大多数の人は僕が何をするかなんて大抵は気にしていない。自分に直接利害が及ぶ時だけちょこっと気にする。普段は僕のことなんて見ていない。だから、僕もそんな人たちのことを気にすることもないのである。

そして、だからこそ逆に、助けたり助けあったり、迷惑かけたりかけられたり、傷つけたり傷つけあったりという互助的な人生観をすんなりと受け入れられる。母のように、他人を助けることには抵抗はないが、他人に助けられることは屈辱であるという思いに憑かれることもない。僕が誰かを助けているとき僕はその人をバカにしているだろうか?──そのことを考えれば、助けられることを重荷に思う必要もない。

そのことに若いうちに気づいた僕は、たとえ母と同じ認知症に罹っても同じように悩むことはないと思う。

記憶が飛んでしまうということは、恐らく僕らが想像できないほどの苦痛なのだろう。とんでもない悲哀と屈辱を惹起するのだろう。でも、他人の目をそんなに気にせず楽に生きて行けるのであれば、その悲哀や屈辱は幾分軽減されるのではないだろうか。

認知症に悩む母を見ていて僕が覚えるのは同情でも憐憫でもなく、いや、そういう感情はもちろんあるのだが、それにも増して「僕は早めにそのことに気づいていて良かった」という安堵の気持ちである。

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