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Sunday, September 02, 2007

KTV『ザ・ドキュメント コーポレートメディア』を見て

【9月2日特記】 KTVの『ザ・ドキュメント コーポレートメディア』を観た。8/28(火)の深夜に放送したのを録画しておいたものだ。

事前の新聞記事などでは『あるある』の事件に対する反省みたいな取り上げ方だったし、事実番組の冒頭も2/28の千草前社長の釈明会見から始まっているのだが、このドキュメンタリーはあの事件とは全然関係のないことを扱っている。

単に報道局の迫川という女性記者があの事件を契機に、企業に身を置いて報道に携わっている人間のあり方というテーマにたどり着いたというだけだ。だから"『あるある』のその後"みたいなものを期待して見始めた視聴者は随分肩透かしを食らったのではないだろうか?

そういう意味ではまったくもってあの局らしい間抜けな企画である。

ドキュメンタリとしてはそんなに鋭く示唆に富んだものではなく、まあまあの出来だと思うのだが、印象に残るシーンが2つあった。

ひとつは『あるある』事件を受けての社内研修会で作家の吉岡忍氏が「タダの仕事をしなくっちゃ」と提言していること(すべての番組が企業としての営利活動に結び付いているのはおかしい。ジャーナリストならそういうことと関係のない仕事もしてみろ、との意)。

もうひとつは、米国NBCの女性プロデューサがスポンサーや株主からのプレッシャーについて質問を受けた時に「そんな問題は存在しない。もっと上のレベルで処理しているのかもしれないが、そういうプレッシャーがあっても我々の耳には入らない。我々は独立したジャーナリストである」と言い切ったこと。

うーん、アメリカはさすがに凄いなあ、というようなことではなく、僕は(こと報道セクションに関しては)日本でもこれは同じだと思う。僕はここんとこ長らく報道の連中とはあまり接点がない仕事をしているが、僕が編成にいた頃には、経営者が歯ぎしりしそうなことを平気で放送してしまう報道マンが確かにたくさんいたと思う。

むしろ、アメリカの凄さはメディアの側ではなく市民の側の積極性・攻撃性・参加性、そして高度なメディア・リテラシーにあると思う。

さて、このドキュメンタリー番組から離れて、所謂やらせや捏造事件について考えてみると、新聞や雑誌などの紙媒体の記者は必ず「視聴率至上主義の弊害」という書き方をする。そういう風に結びつけるのが一番面白いからだろう。

しかし、テレビ局でずっと働いてきた人間の実感としては、残念ながら視聴率至上主義はそこまで全社員に浸透していないというのが真実だと思う。

確かに20年前の20倍、10年前の10倍は浸透したかもしれない。ただし、上から下まで、右から左まできれいに浸透しているかと言えばそうではない。確実に浸透しているのは経営者のレベルだけである。そして、全社的なお題目がきれいに浸透しきらないところこそがマス・メディアとしての健全さだと思う。

20年前であっても、さすがに「視聴率なんか知るか」と声に出して言うプロデューサはまれだった(皆無ではなかったが)。しかし、心の中では「視聴率なんか低くても、良い番組を作りさえすれば良いんだ」と思っているプロデューサはたくさんいたと思う(問題はむしろ「良い番組」とは何か?であった)。

今では制作だけでなく報道セクションも視聴率を気にするようにはなっている。ただし、彼らがジャーナリズムよりも視聴率を重視することはない。

これはあくまで僕個人の感じ方なのだが、報道セクションは概ね問題ないのである。「何が正しいのだろう?」と毎日考えている報道セクションの人間がやらせや捏造などの事件を起こす可能性は極めて低い。問題は「何が面白いのだろう?」しか考えていない制作セクションの人間なのである。

僕がやらせや捏造の原因だと考えるのは、新聞や雑誌の言う「視聴率至上主義」なんかじゃなくて、単なる「迂闊」である。

「迂闊とは何だ、不謹慎な!」とお叱りを受けそうだが、有り体に言って「迂闊」なのである。

視聴者の方々はテレビ局の関係者が視聴率を上げるためにどうすれば良いかキリキリと胃が痛むような毎日を送っているところを想像しているかもしれないが、そういうことで悩んだ挙句やらせや捏造に手を染めてしまうというようなことは極めてレア・ケースだと思う。

大抵は迂闊にやってしまうのである。「どうすればもっと面白くなるか」以外のことがほとんど頭の中にないから「ついうっかり」やってはいけない手法を採ってしまうのである(と僕が勝手に想像しているにすぎないと言われればその通りではあるが)。

「何が正しいか?」を常に念頭に置いている報道マンならそんなことはありえない。報道経験のある制作マンもそういう馬鹿げたミスは犯さない。

普段から「どうすれば面白いか」しか考えていない制作関係者(社外のプロダクションも含めて)がそういう陥穽に落ちるのである。

だから、こういう事故が起こると放送局はすぐに社内研修会なるものを開催する。そんなもんで効き目があるのかいな?と思いがちだが、そもそもの原因が「迂闊」や「うっかり」なので、この手の対策は効き目があるのである。

「どうすれば面白くなるか?」しか考えていないとは、何とレベルの低い奴か?と思われたかもしれないが、下には下がいるもので、「どうすれば面白くなるか?」を常に念頭に置いている若手制作マンは優秀な制作マンであるとも言える。つまり、それさえ考えていない制作マンもいないではないのである。

「ありのままが一番面白い」みたいな企画書をしゃあしゃあと書いてきて、いざ撮らせてみると確かにありのままではあるが面白くもなんともない。そんなものが番組にならないということをまず解らせなければならないのである。

確かに、ありのままが面白いという面はある。ただ、番組には予算と納期がある。もしそれらを取っ払って制作できるのであれば、如何にもありのままの面白さを伝えられるかもしれない(それにしても編集作業は必要だが・・・。そして編集のやりようで番組の印象は大きく変わってしまうのだが)。しかし、番組に予算と納期がある以上、なんらかの「仕掛け」がなければ番組は面白くならないのである。

その仕掛けを必死で探しているというのが若手制作マンの普段の姿ではないだろうか? 決して視聴率至上主義になんか染まっていない。と言うより、部分仕事しかさせてもらっていないので番組平均世帯視聴率が今イチぴんと来ていない可能性だってある。

面白くするための仕掛け、仕掛け、仕掛け・・・。そのことだけを考えて作業していると「ついうっかり」「迂闊にも」やらせや捏造に手を染めてしまうのである。

以上は僕の想像にすぎない。僕には報道の経験も制作の経験もない。ただ、当たらずといえども遠からずではないのかな?と思う。

この稿で一番書きたかったのは、平面媒体の人たちは何かと言えば「視聴率至上主義の弊害」という総括をしたがるのだが、決してそうではないということ。単独の主義が浸透してしまうほど僕らは不健全ではない。

実は僕らの悩みはもっとレベルの低いところにあって、それは「もっといろんなことに気を配ろうよ。『うっかりやっちゃった』じゃ済まないんだから」ということである。

あくまで私見である。社内・業界内からの異論・反論もあるかもしれない。

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