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Wednesday, August 01, 2007

鬚と長髪

【8月1日特記】 ずっとひげを生やしてみたくてしょうがなかった。

明治のころはいざ知らず、僕が生まれた昭和の中ごろにはひげを生やしている人はそんなにいなかった。だから、阪神のヒゲ辻の例を出すまでもなく、ひげを生やしている人は決まってヒゲ○○というあだ名をつけられた。

僕が会社に入った昭和の終盤にはすでに会社の中にもひげの人は何人かいた。

でも、ひげの生えた営業マンを担当につけたら、「ウチはヒゲの人はちょっと・・・」とスポンサーに断られるなんて事件もあった。とは言え、こういう業界だからか、ひげの人もちょんまげの人も会社に出入りしていたのも確かなのだが・・・。

ただ、同じひげでもちょっと違うのは、ひげはひげでも髭、つまりは口髭の人がほとんどで、次いで口髭とほお髯とあご鬚を全部繋がった状態で生やしている人、大体はこのどちらかだった。

あご鬚だけを生やしている人なんて、ピンキーとキラーズのルイス高野かレッツゴー三匹の長作くらいのもので、一般人にはほとんどいなかった。特に若い人であご鬚だけを生やしているのは非常にアンバランスな印象があって、そんな奴はほとんどいなかった。

それが、平成に入ったころからかなあ、ヒップホップ系の連中から広まったのか、今では街中にあご鬚だけを生やした若い奴が五万といる。

ひげそのものはもう珍しいものでも何でもなくなった。

そうなってくると途端にひげを生やしたいという欲求が失せてしまった。

思えば僕はひげに憧れていたのではなく、ひげが時代の中で保っていた異端性に憧れていただけなのだろうと思う。

僕らは長髪に憧れた世代でもある。

少し上の世代はすでに長髪を実践していたが、僕らはまだ小中学校の校則に縛られて髪を伸ばせなかった。今考えてみれば、あれも長髪そのものにではなく、長髪が時代の中で与えられていた反体制の象徴的な部分に憧れていただけなのだろう。だから、長髪が普通になってしまうと僕らは長髪への情熱を失ってしまった。

ひげも生やさず長髪にもせず、僕らの世代は随分ツルンとした人生を送っているのかもしれない。

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