『メタボラ』桐野夏生(書評)
【8月4日特記】 確かこの作家では『OUT』を読んだ。書ける作家だなとは思ったが特段好きにもなれなくてそれっきりになっていたのだが、表紙と帯に惹きつけられて久しぶりに手に取ってみた。
本を開くといきなり何かから逃げてきた男・<僕>。
夜で、ジャングルだ。何から逃げているのかも分からないが、ともかく逃げなければという強迫観念に駆られて傷だらけになりながらひたすら逃げる──そういう緊迫したシーンが描かれている。悪くない書き出しだ。すべてが謎に包まれていて、期待が持てる。
そして、漸く道路に出たところで「独立塾」から逃げてきたという若い男・昭光と出会う。その男と会話してみて、初めて自分が記憶喪失であることに気づく。
ここは沖縄らしい。でも、自分が何をしていたのかはおろか、自分の名前も年齢も思い出せない。昭光と歩きながら記憶がないことを告げると、昭光は<僕>にギンジという名前を与えてくれて、自分も今後はジェイクと名乗ることにすると言う。
──よくデザインされた設定である。謎はあまり解き明かさないまま登場人物に次々と新たな試練を与える。面白い。
そこから暫くずっと面白い。しかし、ギンジが記憶を取り戻し始めてからがあまり面白くないのだ。緊迫感が薄れてくる。そして、そんなことを思いながら読んでいると、分厚い本の残りページ数が随分少なくなっているのに気づき、おいおい、この話はどうやって終わるんだ?と気になってくるのである。と、突然小説は終わってしまう。
まるで紙がなくなったからもう書けないと言ってるみたいに。もちろん狙ってこういう書き方をしたのだろうけれど、読んでいるとまるで「今日で新聞の連載を終わってしまう必要があるので無理やり終えました」と言ってるように思えるのである。そりゃないでしょ、という気がする。
ストーリーはこのままでも良いから、少なくともあと2枚分の原稿を書き足せば、もう少し僕ら読者が納得できる読み物になったのではないだろうか?
読み終わって宙ぶらりんで少し不安な感じが残る。それは作者が狙った通りであるのかもしれないが、そうであったとしても僕は少し納得できない感じがある。
この本の巻末には「改題」をつけるべきではなかったか? タイトルの「メタボラ」はどういう意味なのか?(帯には簡単に説明してあるが、どういうところにどんな意味を込めてこのタイトルにしたのか?)
この一見尻切れトンボのように思える終わり方はどのように読んでどう解釈すれば良いのか? 作者が狙ったのではないかと推理できることはどんなことなのか?
──誰かの手でそういう親切で、ある意味お節介な「解題」をしてくれないと、僕の思考は止まったままである。つまり、もうひとつヒントをもらわないと、そこから先に広がらない小説なのである。
如何せん僕には少し難しすぎたようだ(笑)
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