昔の会話、今の回想、そして
【7月3日特記】 年を取ったせいなんだろうか? 最近時々大昔の、若かったころのやり取りが不意に脳裏に甦ったりする。
それは僕が、世の中にはこんなにも自分と違う人がいるのか!?と思い知らされたやり取りだった。
「別にみんなに好かれようと思わなくて良いんだよ」みたいなことを、僕はその人に言った。僕自身がそのことに気づいてとても軽くなれたという経験があったので、そのことに気づかせてあげたら、きっとその人も呪縛から解き放たれるだろうと思った。
ところがその人は随分困惑した顔でこう言ったのである。
「私はみんなに、一人ひとりに好かれたい」
と。
僕は絶句した。前提となるはずのところから、僕とその人は一致できないのである。
僕が早々に、誰彼となく全員から好かれようなんて所詮無理だったんだ、と見切りをつけたのに対して、その人はそのことには見切りをつけず、多分別の順番で、別の何かに見切りをつけてから進み始めるのだ。
いや、多分そうじゃない。その人は根本的に見切りをつけるという発想を持たないのではないだろうか? 僕のように順番に何かに見切りをつけながら生きてきたわけではないのだ。
みんなに好かれたいという気がかつて僕にもあり、うじうじと嫌われることを気にしていたのが、ある日「それは不可能だ。そんなこと考えたって仕方がない」と気づいて、そう気づいたことで吹っ切れて、それが僕の再出発点になったのだが、その人にとってはみんなに好かれたいというのは何か動かしがたい真理なのであり、それに見切りをつけるような形での出発点も再出発点もないのである。
「じゃあ、お前、いつまでも無駄な努力やってろ、バーカ!」
と言いたいかと言えばそうでもなくて、ただ、自分とそこまで違う感じ方、考え方、哲学、生き方ってのがちゃんと成立するんだな、と驚くのみであった。
そもそもそんな彼女と僕が恋をしてみても、それはあまりうまく転がりそうもない、と気づいたのは残念ながらその後何年も経ってからであった。
しかし、あの時、見切りをつけられたのは僕のほうだった。そこだけ考えると、なんだか納得が行かない。
人生は納得の行かないこととの出会いの場だ。納得の行かないこととどう折り合いをつけるかが人生の極意なのかもしれない。
──というような考え方は、やっぱり彼女には受け入れてもらえそうもない気はするけど。
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