映画『サイドカーに犬』
【7月1日特記】 映画『サイドカーに犬』を観てきた。
この当時の初期の作品は読んでいないのだが、長嶋有はこのところ僕が贔屓にしている作家である。そして、監督が根岸吉太郎で主演が竹内結子。この組合せが気に入った。
根岸監督であれば、もう少し"固め"の配役をしても良いところだが、今回はかつてアイドル的な売れ方をした竹内結子である。そして、その彼女の離婚・復帰後の第1作である。
竹内結子にとっては結構正念場じゃないのかな、と僕は勝手に想像していたのだが、なかなか良い演技で巧く乗り切ったと思う。『いま、会いにゆきます』の時に随分巧くなったなあと感心した記憶があるが、伸びしろはまだありそうだ。
そして、この映画で誰よりも注目すべきは薫を演じた松本花奈である。自然な演技がとても素晴らしい。上では竹内結子主演と書いた(そして宣伝上もそういう扱いが多い)が、この映画の主演は紛れもなく松本花奈である。
この映画はその薫の目線で描かれる。母(鈴木砂羽)が家出して、父(古田新太)と正式に離婚するまでの短い間、「ご飯を作りに来た」という触れ込みで突然現れたヨーコさん(竹内結子)を描いた映画だ。
ヨーコさんは小学4年生の薫の目から見るとまことに得体の知れない大人だ。どうやら父の愛人らしいが、薫に対して友だちみたいに接してくる。それは薫にとって、人生で初めて自分を一人前の人間として扱ってくれた大人だった。そして子供は抑えつけてばかり、自分は辛抱してばかりの母と違って、ヨーコさんはいつも自然で自由だった。
それはヨーコさんがそうしてやろう、そうしたほうが良いだろうと考えてやっている訳では決してない。単に自然に出てくるものであり、本質的に備わっている自由さであった。そこが他の大人たちにはないヨーコさんの魅力だった。
僕は観ていて何故か adolescence という表現を思い出した。薫はこの言葉を使うにはまだ早すぎる年代なのだが、この夏、薫が経験したさまざまなことの微妙なニュアンスを的確に表すには、思春期でも青春でもなく、アドレッセンスでなくてはならないような気がする。
映画は1980年代の回想シーンと、30歳になった現在の薫(ミムラ)の2つの設定で構成されているのだが、映画の大部分を占める回想シーンは松本花奈の目を瞠るような演技と、それを支える竹内結子、古田新太らの好演で非常にビビッドな出来である。ちょい役の椎名桔平がすごく悪人っぽくて良い。
自転車のシーン、夜中の散歩シーン、海水浴場でのシーンなど非常に印象的なシーンが次々と繰り広げられる。
それに比べて、冒頭の現代のシーンで、薫と弟(川村陽介)との会話に思いっきりぎこちない台詞がある。その後も同じような台詞が多く、おいおい、我々が日常会話する時にそういう表現は採らないだろう? それに気がつかないような観察者は台本なんか書いちゃいかんよ、と思う。
不思議なことに回想シーンにはこのぎこちなさは全くない。最後に現代のシーンに戻るとやっぱり台詞回しが下手である。
まさか、2人の脚本家が現代と回想シーンを分担したのではないだろうとは思うのだが、その点だけがちょっと心残りだった。
エンディング・テーマはYUI。結構良い曲書くね、この子。良い曲聴きながらじんわりとした良い終わり方だった。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。


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