映画『監督・ばんざい!』
【6月6日特記】 映画『監督・ばんざい!』を観てきた。
そもそも最近の北野武をどう見るかという問題がある。
前作『TAKESHIS'』は随分解りにくいという触れ込みであったが、実際見てみると、僕にとっては「これのどこが解りにくいの???」と言いたくなるような映画だった。だから今作についても同じように抵抗感がない。ただし、これは『TAKESHIS'』よりも遙かに訳解らん映画だと思うよ。それから、ここんとこ北野監督がとても内省的になっているのも確か。
「ギャング映画を封印した」と宣言してしまったバカな北野武監督が、そこから脱皮しようとして様々なタイプの映画を作るという筋立てで、ここには6本の作中作が登場する。
小津安二郎風の『定年』、ラブ・ストーリー『追憶の扉』、昭和30年代もの『コールタールの力道山』、ホラー『能楽堂』、時代劇『蒼い鴉 忍PART2』、SFスペクタクル『約束の日』。
ところが最後の『約束の日』の中で、小惑星の表面に岸本加世子と鈴木杏の顔が発見されてから俄かに訳わかんなくなってくる。伊武雅刀のナレーションもいつの間にやら消えてしまっていて、もう筋も設定も無茶苦茶、荒唐無稽なギャグの世界に入ってくる。
ただ、そこは北野武。ただバカやってるように見えて、なんとなく刺があったり、高踏的な遊びがあったりして観ているほうも、ニヤリという笑いとバカ笑いを交互に経験してしまう。
例によっていろんな解釈が乱れ飛ぶわけで、たとえば冒頭に出てくる"OPUS 19/31"という表記に対しても、朝日新聞だったかな、19 も 31 も共に素数で「割り切れない」んだとか、31というのはたけしの目標とする制作数で、この映画が13本目なのだがそれに6本の作中作を加えて19になっているとか。
あのたけし人形は一体何の意味なんだろうとか、考え始めるときりがない。
『コールタールの力道山』なんか妙に深く印象に残る良い出来なんだよね。それを敢えて未完で終わらせる意味は何なのか、とかね。
ここにどんどん深読みしようとするファンがいて、一方どこ吹く風のたけしがいる──非常に理想的な関係ではないかな。
岸本加世子とか、大杉漣、寺島進などいつものメンバーに加えて今回はかなりの豪華キャスト。松坂慶子が小津風ドラマをしっとりと演じているかと思えば、江守徹が怪優ぶりを縦横無尽に発揮していたり、藤田弓子とか入江若葉とか渋いよね。
ほんで内田有紀。何故使ったのか僕にはよく理解できないのだけれど、きっと北野武の好きなタイプなんだろうな。
でも、この映画で一番の男優と女優は井手らっきょと鈴木杏。らっきょとかつまみ枝豆とかのたけし軍団はまあ良いとして、鈴木杏を起用したのは本当に見事だと思った。
この映画、とりあえず観て笑えばそれで良いと思うよ。ほんで、そう言いながらなんか深い読後感が残っているあたりが魅力だよね。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。
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