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Friday, June 22, 2007

若いころの僕にそっくり

【6月22日更新】 まことに変な表現だが、母を見ていると若いころの僕にそっくりだなあと思う。

僕らは人に迷惑を掛けたり掛けられたり、助けたり助けられたりしながら生きて行くものだ。このことを、たとえば僕の場合は、人生の最初の30年くらいをかけて学習した。

それは人生の基本的な認識だと言える。

しかし、哀しいかな、母はそのことを学習する環境にないまま生涯を過してしまった。いや、それどころか、「どんなに苦しいときでも誰の助けも得ずに自分ひとりで立派に切り抜けてきた」というのが彼女のプライドとなり、彼女が苦しい時代を乗り切って行く上での生きる糧になってしまったのである。

今、歳を取ってしまって体も弱り、短期記憶も頻繁に飛んでしまうようになってしまい、周囲の人間の助けなしには生きられなくなってきて、そのことを自分の不甲斐無さと感じ、彼女はそれに耐えられないのである。

母はほんの些細なことであっても助けられることを「武士の恥」のように怖れている。それは物事が解ってなかった頃の僕にそっくりだと思うのである。

「ひとは迷惑を掛けたり掛けられたりして生きて行くんだからそれで良いんだよ」といくら諭しても「いや、私はきっと鬱陶しがられている。嫌われている。迷惑かけるくらいなら死ぬ」という。その癖、自分の娘や息子には甘える。時々僕も「そんなこと言って、娘や息子の負担が増えるのは構わないのか」みたいな憎たらしいことも言ってみる。

いや、年老いた母を鞭打とうというのではない。ただ、人生一番の醍醐味をちゃんと学習した自分の人生をラッキーだったと思う一方で、それを理解することなく老いてしまった母を不憫だと思うし、なんとか今からでも学習してもらえないかと祈るような気持なのである。

それは取引でも計算でもない。だから、あの人に3回助けられたのに1回しか助け返していない、とか、Aさんに助けられたのにBさんを助けたって借りを返したことにならない、とか言うようなものではないのである。

もっと丼勘定で助けたり助けられたり、迷惑掛けたり掛けられたり、それが人生だと思う。狭い家族の中でしかその丼勘定を実践できないのが、今の母であり、若かったころの僕の姿だと思うのである。

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