今歌う歌
【6月2日特記】 竹内まりやのアルバム"Denim"を聴いている。
「気がつけば五十路を 越えた私がいる」(『人生の扉』)などというフレーズが出てきて、ドキッとする。
竹内まりやって俺より年上だったのかという軽い驚きと、お互い年を取ったもんだという深い感慨と・・・。
そして、突然思い出したことがある。
あれは僕がいくつの時だったろう? 小沢昭一というタレントがいて、『俺たちおじさんには今歌う歌がない』という自作の歌を歌っていた。
小沢昭一という人は確か昭和元年の生まれ(それで昭一と名づけられた)だったはず。つまりは僕の両親の世代である。その小沢昭一が今の僕くらいの年齢の時に、自分たちが今歌う歌がないと不遇を託っていたのである。
僕らには今歌う歌があるだろうか?
小沢昭一が「今歌う」と言っていたのは「懐メロならいざ知らず」という意味である。「今流行っている歌に全く馴染めない」という意味である。こんな書き方をしてしまうと元も子もないが、彼はきっと詞も曲も演歌的なものしか受け付けなかったのだろう。
僕らはどうか?
たとえばこの竹内まりやのアルバムがある。そして、そんなキャリアのあるシンガーだけではなく、新しいシンガーの歌も僕らは抵抗なく聴き、自然に口ずさんだりしている。竹内まりやの音楽と若いシンガーの音楽に決定的な差異なんかない。
もちろん中にはちっとも共感できない作品もある。ついて行けない曲もあれば、感心しない歌詞もある。でも、音楽シーン全般を嘆きたくなるような状況は全くない。
それは、戦争がなかったからではないかな?
第2次世界大戦が、日本の文化を分断してしまった。いや、戦時の日本政府が何でもかんでも、やれ敵性語だ敵性音楽だと禁止してしまったから、そしてその反動で戦後一気に新しい音楽がドッと入ってきたから。新しい音楽にすんなり乗った新しい世代と乗り切れなかった古い世代の間に大きな溝ができてしまったから。
僕らの世代の音楽体験はシームレスな変化と流行であり、当初から選択肢豊かな広がりであった。幸せな音楽体験だと思う。
「ふむ、僕が今音楽を楽しめるのも憲法9条のおかげか」などと思うとなんだか感慨深い。
【註】
この文章のメインテーマは音楽であり、改憲論争ではありません。歌の変遷から説き起こして憲法9条の正当性を証明できるとはさすがに考えていませんので(笑)。ただ、ちょっとそんな風な考え方もできるかな、というような感じでお読みいただければ幸いです。
Comments