『ほしいあいたいすきいれて』南綾子(書評)
【6月12日特記】 女の人はこういうのを見ると眉をひそめるのかもしれないが、男としては随分そそられるタイトルである。一生に一度で良いからこんなこと言われてみたい(「あれ?言われたことないの?と嗤わないでください)。
で、タイトルから解るように、これは言ってみれば女性が主人公のセックス小説である。20ページちょっとの『夏がおわる』と120ページほどの表題作が収められているのだが、前者のほうが遙かに出来が良いように思う。
前者の主人公はセックスが好きで頭の弱そうな女の子。こういう娘に男は弱い。ただ、とことん頭が弱ければ男に不自由せずに暮らすことはできない。とっかえひっかえ男とヤレルのは男の捉え方をしっかりと心得ているからである。ちょっと頭が弱そうな点は明らかに男を捉える助けになる。そして、こういう女の子は決まって同性に嫌われる。
そして、こういう女の子が描ける作家は、多分セックスは好きなんだろうとは思うけれど、それだけではこういう話は書けないのであって、多分相当頭の良い女の子なのだと思う。
『夏がおわる』では主人公が誰かとセックスした日に必ず出会う小学生の男の子が出てくる。
セックスがあって男の子との出会いがあって、別の男とのセックスがあってまた同じ小学生との出会いがあってという構造がなかなか良い。それぞれの男とそれぞれ事情があってそれがちゃんと描かれているところも良い。結構ほだされる話でもある。
一方、この『夏がおわる』の約5倍の長さがある『ほしいあいたいすきいれて』のほうは、タイトルの奇抜さに比べて中身はそれほどの切れがない。多分この作家の得意な長さは『夏がおわる』くらいの長さなんだと思う。同棲している男に風俗嬢になるよう無理やり勧められて…という話なのだが、山を作るために少しこねくりまわし過ぎた感がある。
『夏がおわる』のほうは神様が出てくるような現実離れした話なのに、現実の風俗をなぞった感のある『ほしいあいたいすきいれて』よりも遙かに現実感があるのである。
ただ、いずれの作品も終わり方は極めて「小説的」、つまり正統な手法であって、単なるヤリマンの話だと思って油断して読んでいると「あっ」と声を上げてしまいそうなほど巧い。鮮やかなエンディングである。
結局のところ男性向きなのか女性にも薦めるべきなのかよく分らないが、なんであれこういう作品をなめてはいけない。結構切れる作品である。
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