『夜は短し歩けよ乙女』森見登美彦(書評)
【6月6日特記】 『太陽の塔』を読んだときに(そのときの書評にも書いたのだが)果たしてこの作家は次の作品が書けるのだろうかというのが僕の心配だった。
『太陽の塔』は(これまた京大出身である)万城目学が言うところのイカキョー(いかにも京大)的な主人公による青春小説で、その魅力はまさにイカキョーなキャラクターであった(しかし、話は逸れるが万城目の『鴨川ホルモー』では、僕らがかつて「いかにも阪大」と言って笑いものにしていたファッションがイカキョーとして紹介されていたのには驚いた。閑話休題)。
これはこれで京大生を知っていれば知っているほど笑えるし、逆に胸にずしんと響くものもある作品だった。しかし、その後もずっとそのテーマで小説を書き続けるわけには行くまい。彼はここから抜け出して次のテーマで新たな小説が書けるのだろうか?──というのが僕のお節介な懸念であった。
そういう思いがあったので、その後の彼の作品をなかなか読んでみる気にならなかったのであるが、この『夜は短し歩けよ乙女』はやたらと評判が良くて賞をもらったりもしている。半信半疑で手にとってみて読後第一の感想は「なんや、書けるやんけ」ということだった。
今回はやや古風な語彙を多用して少し違った雰囲気で書いている。最初の2章を読んで僕が思い出したのはなんと豊田勇造である。ま、知らない人がほとんどだとは思うが彼もまた京都出身のシンガー・ソングライターである。
彼の書いた『ある朝高野の交差点付近を兎が飛んだ』や『桜吹雪』などの幻想的な詞を連想したのである。そして中盤以降、森見の筆がますます自由に飛びまわり始めたとき、僕は今度はなんと舞城王太郎を思い出してしまった。
僕が言いたいのは森見がいろんな人に似ているということではない。そこには僕が今まで知らなかったNEW森見がいたのである。しかも、明らかに自由度を強めて、すこぶる個性的になった存在として。
彼が独自に繰り出してくる擬声語・擬態語が可愛くて(この辺が若い女性読者に受けた所以であろうか)しかも適切である。今回もまた恋をしても外堀ばかりを埋めているどーしようもない京大生が主人公なのだが、『太陽の塔』のようにそれをほとんど嗤っているだけの小説ではない。もうひとりの主人公として、彼の後輩にして彼の片思いの対象であるちょっと変わった京大の女子学生を登場させているのだが、このキャラの設定は大成功だ。
そして、『太陽の塔』でも万城目の『鴨川ホルモー』でも、あるいはこの作品でも、いくらなんでも京大生の男全員が恋愛に対してこんな「へたれ」とはちゃうぞー!と、読んでいて叫びそうになったあたりから主人公も一念発起して、しかもストーリー上も写実と幻想と戯画が綯い交ぜになって面白い展開となり、あとは果たしてこの2人はハッピーエンドなのかどうか、それが知りたくて知りたくてどんどん読み進むうちに心地よく小説は終わった。
なんや、ごっつう書けてるやんけ。京大も捨てたもんとはちゃうね。
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