『書きあぐねている人のための小説入門』保坂和志(書評)
【6月22日特記】 こんな面白い「読み物」にはめったに出会うものではない。そもそも本当に「小説を書きあぐねている人」がこの本を手に取ったりするんだろうか?
その手の学校に通ったりして、先生に言われたことを一生懸命守って小説を書き始めるんだけれど、どうしても書き上げられない──そんな人がもし本屋で偶然この本を見つけて読み始めたとしたら、ひょっとするとこれほど不幸なことはないかもしれない。
何故なら保坂の論に従うと、他人の書いたものを鵜呑みにしてそこに書いてあることを律儀に実践しようという態度が小説から一番遠いものであるからである。
だからと言って、この本は保坂がそういう人たちを愚弄して書いている本かと言えば決してそういうことはなく、むしろこれから小説を書こうとする人たちのために一心不乱に書いた本である。そこには作家としての彼の呻吟が見える。彼が苦労して苦労して掴んだエッセンスをなんとか皆に分け与えようという心構えが見える。
あとがきには、「これを読んでどうしてもわからないところがあったら、編集部まで手紙をください」とまで書いている。そんなことを書くときっと的外れな質問文ばかりが届くのは目に見えているにもかかわらず。
- 「私が書かなくてもすでに小説はある」
- 「小説を書くためのマニュアルはない」
- 「『自己実現』のための小説は書かない」
- 「テーマはかえって小説の運動を妨げる」
- 「停滞や歪みが起こるのが会話」
- 「登場人物に勝手にしゃべらせること」
- 「風景を書くことで文体が生まれる」
- 「風景を書くことで書き手は鍛えられる」
- 「『次に何が起こるかわかる』から楽しめる」
- 「ストーリーは小説を遅延させる」
- 「頭を“小説モード”にしない」
──いくつか章題を抜き出して並べただけでこれだけ面白い。
ただし、それは読み物としての面白さであって、入門書としての面白さではない。これを読んで納得が行かない人は論外として、これを読んで大いに感心しているようでは多分一生小説なんか書き始めることさえできないのではないかと思う。そして、もしこの本の通り1つずつ実践して書き始めるような人がいたとしたら、それまたちょっと違うんだよなあと苦笑いしたくなってくる。
そんな皮肉な本であるのに、保坂は結構大真面目に書いている。そこがとても面白い。実際に小説を書いている人間にしかできないアドバイスであるという自負の表れであるとも言えるのであるが、すでに書けている人にしか小説は書けないのだというのが結論ではないかな、と僕なんぞは思ったりするのである。
つまり、入門書の体を取っているが実は卒業証書なのである。これはそういう逆説的な構造を持つ書物である。そして逆説的であるということは小説の面白さのかなり核心をなす要素ではないだろうか?
そんな中、出版社だけは何でも良いからドサクサ紛れに儲けてやろうという色気たっぷりで、帯に「必ず書けるようになる小説作法」などとテキトーなことを書いている。このあたりがまた非常に笑える点である。
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