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Thursday, May 17, 2007

驚きを食べる

【5月17日特記】 グレープフルーツって、どうやって食べてます?

僕の場合は最近、夏みかんや八朔みたいに皮むいてひと房ずつ食べることが多いです。もうちょっとお洒落に盛り付けたければ、中の薄皮も剥いてガラス小鉢に移して(もっと格好つけるならラム酒でもふりかけるか?)。

ひょっとすると若い人から見たら凄いことかもしれないと思うのですが、考えてみれば僕なんかグレープフルーツが日本に入ってきた瞬間を経験してるんですよね。

そう、僕らが生まれた頃には日本にグレープフルーツはなくて、それは人生の途中で突然現れたんです。

"グレープ"フルーツと言うからにはブドウっぽいものだろうと思っていたら、思いっきりミカン状のものだったのでびっくりした記憶があります。

そして、その新来の果物は、「包丁で横に半分に切って、切り口に砂糖をかけてスプーンで掬って食べるもの」だと紹介されました。当時は、だからほとんどの日本人がこの食べ方を厳守していたのではないかなと思います。なるほど砂糖(グラニュ糖か果糖)をかけるとすれば、こういうふうに半分にするのが一番合理的な食べ方でしょう。

ところが、当時のグレープフルーツは今よりずっと酸っぱくて、それが次第に甘くなってきたためか、それとも初めから別に砂糖をかけて食べなければならないほど酸っぱくはないと誰かが気づいたからなのか、どっちかよく判りませんが、いつのころからか必ずしもその食べ方をしなくなりました(少なくとも僕の場合は、ですが)。

別の見方をすれば、お洒落なよそ行きの食べ物だったグレープフルーツが文字通り人口に膾炙して、極めて日常的な果物になったということかもしれません。

別の文章にも書いたことなんですが、考えてみれば、僕らの世代はこういう新種の食物の登場に数多く立ち会ってきました。例えば、ピザは「イタリアのお好み焼き」という触れ込みで突然我が家の食卓に現れました。

今考えたら笑える話ですが、昔はそんな変な触れ込みに半ばおっかなびっくりしながら口に運んだものです。最近の若い人たちはそういう経験が減っているのではないでしょうか?

だとすれば、ちょっとかわいそうな気もします。驚きは食の愉しみのひとつの大きな要素ではないでしょうか?

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