『海に落とした名前』多和田葉子(書評)
【4月16日特記】 こういう小説の書評は本当に難しい。だって、何のことだかよく解らないまま読み終わってしまうんだもんね。だけど、何だかよく解らないことを潔しとしないのであれば、最初から多和田葉子なんか読まない。そういう作家であるだけに書評の書きようがないのである。
収められた短編は4作。
飛行機が事故で海に墜ち、幸い無傷で救出されたのだが自分の住所も名前もさっぱり思い出せないという「海に落とした名前」──僕はこの表題作に魅かれてこの本を買ったのであるが、この作品や「土木計画」のように作者の想像力が自由に動き回りすぎる話よりも、冒頭の2編「時差」と「U.S.+S.R.極東欧のサウナ」のほうが話について行きやすく面白い。
「時差」はベルリン、ニューヨーク、東京にいる3人のホモセクシュアルの男たち、しかも、まるでじゃんけんみたいに2人ずつが繋がっている妙な関係の男たちを、「そのころ○○は」という接続詞で時空を超えて順番に描いて行く不思議な世界だ。
「U.S.+S.R.極東欧のサウナ」のほうは、作家であるらしい女性によるサハリン紀行文である。日本人にとって奇異なスラブ人たちの日常に対する異様に写実的な描写を縫って筆者の空想が飛び抜けて行く。
どの小説も非常に不思議で、非常に印象的。ここから何を拾えるかは読者の個性と力量による。
まず読者は2つに分かれるだろう──この後も多和田葉子を読む人たちと2度と読まない人たちに。
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