cherry blossoms
「散って行くのを見ると淋しくなる」などとのたまう御仁もおられるが、どうして一挙にそんなに深いところにまで思念が及ぶのかが訝しい。
風に舞い散る花びらを見てまず直観的に湧き上がるのは美しいという感慨ではないだろうか? それを人間の死や世の無常と結びつけるのは、もっと2次的な精神の働きなのではないだろうか? それは文字通り「想いを馳せる」作業である。
「散って行くのを見ると淋しくなる」
「おいおい、君はいつからそんな人になったんだい?」
何かを刷り込まれているのではないかという気がして仕方がない。彼/彼女は朝顔が萎れるのを見ても、椿の花が落ちるのを見てもそう思うのだろうか?
朝顔は萎れるところが美しい、椿は落ちるところが美しい、とは勿論言わない。でも、桜は散るところが美しい。そして満開の桜も遠目で見るとそこそこ美しい。
今日の桜はまだ散り始めていなかった。
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