幸福な定年
【2月19日特記】 今日、ウチの会社を今月で定年になる人の送別会があった。
むさくるしいとか、ものぐさだとか、不潔(精神的な意味ではなく黴菌レベルの話)だとか、意地汚いとか、そんな評判のある人だ。
ただし、それを言うとき誰もが眉を顰めたりするのではなく、自然と笑顔になってしまう、愛されるキャラクターだった。
そして、僕にとって何よりもその存在が有難かったのは、彼が僕にとって信頼できる読書家であり、信頼できる映画通であったということだ。
小説であれ映画であれ、彼が面白かったと言ったものは、僕の期待を外したことがほとんどない。もちろん、ウチの某プロデューサは彼が褒めた映画を見て「どこが面白いんですか」と憤慨したと言うから、万人受けする訳ではない。要は相性の問題である。
僕にはとても相性の良い人だった、と言うよりも、やはり先ほど書いた「信頼できる読書家であり、信頼できる映画通」と言うほうがしっくり来る。
持つべき友とはこういう人なのである。
その映画通の彼が今宵「最近見た作品の中で面白かったもの」として挙げたのが『幸福な食卓』だった。
観ようとは思っていたけど、見逃したら見逃したでまあ良いかとも思っていたのだが、これで是非にも観る気になった。
我々からお贈りした記念品への答礼として彼が全員に配ったのは便箋だった。如何にも名文家の彼らしいチョイスである。深い意味合いを感じる。
彼が会社にいなくなると非常に不便になる。不自由する。
「不便になる。不自由する」という表現を見て失礼だと感じた人もいるかもしれないが、僕も行く行くは彼のように不便・不自由を実感してもらえるような人になれたら良いなあなどと思ったのである。
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