すき焼き
【2月7日特記】 母の家に行くと決まってすき焼きである。
「何か食べるもの買って行こうか?」
「いや、なんか作るわ。何がいい?」
「冷蔵庫の有り合わせでいいよ。ご馳走でなくていいから」
「わかった」
電話でそんな会話をしてから行ってみると、テーブルの上にすき焼き鍋とすき焼きの材料が載っている。
先日も、
「すき焼きにしようか?」
「いや、すき焼きは食べ飽きた。勘弁してくれ」
「ほな、何がええ? 水炊きにしようか?」
「うん、水炊きならいいよ」
「豚肉か鶏か?」
「鶏やなあ」
「よっしゃ、わかった」
そんな会話をしてから家に行ってみたらやっぱりすき焼きだった。おかげで月に数回はすき焼きを食べている。
この記事だけを読んでいる人にはさっぱり理解できないだろうけど、実は母は初期の認知症なのである。何度言っても覚えていられないのである。
このことを通じて僕は母がすき焼きが好きだったということを初めて知った。
「また、すき焼きか」と言うと彼女は決まって「独り暮らしだと鍋物なんかできないから」と言うのだが、かと言ってすき焼き以外の鍋であった試しはない。もちろん息子がやってくるからご馳走をという意識はあるのだろう。ただ、彼女は昔から肉が好きだったのも確かだ。
そう、彼女はすき焼きが好きだったのだ。
SUKIYAKI と言えば坂本九の『上を向いて歩こう』がアメリカで発売されたときのタイトルである。
歌詞の内容とは何の関係もなく、ただ日本の歌だから日本的なものの代表ということでつけられた脳天気なタイトルである。にも拘わらず、この歌はビルボードの全米第1位に輝いた。
僕は母の用意したすき焼きを食べ、彼女の家を後にした。
そして、夜空を眺めながら小さな声で『上を向いて歩こう』を口ずさんでみた。
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