『翻訳教室』柴田元幸(書評)
【12月3日特記】 東大文学部教授である柴田元幸の授業を文字に起こしたものである。はあ、東大ではこんな講義をしているのか。言い様もなく素晴らしい翻訳演習である。読んでいると羨ましいのを通り越して何か甘美な夢でも見ているのではないかという気さえしてくる。
本来翻訳というものは、このくらい英語と日本語の両方に通じている人にしかできない作業なのである。
英語の読み書きができるというだけでは勿論ダメで、日本語の特性をも深く理解している必要がある。英単語のニュアンスと用法を熟知して、その意味をできる限り正確に反映できる、こなれた日本語の表現に転化して行かなければならない。そして、言葉の背後にある文化や宗教、時代背景にも気を配れないと、総体としての“意味”は伝えられない。
──それが柴田教授が教えようとしていることなのではないだろうか。
にも拘らず、世の中には単に英語ができるというだけで、いや日本語も英語もろくにできないくせに、機械的に単語を置き換えて「翻訳」と称している(特に専門書まわりの)似非翻訳家が五万といる。
僕はこの本を読んでいると、自分にそんな翻訳能力があるわけでもないのに、世の翻訳家を片っ端から捕まえて、「おい、お前はこんなことまで考えて訳していたか?」「こういうことまで考えて単語を選んでいたか?」と順番に頭をはたいて回りたくなる。
ここには都合10回の授業内容が記されている。
毎回1人の作家の2ページほどの文章が取り上げられ、学生は事前に自分の翻訳を提出しておく。柴田教授も(すでに出版されたものも含めて)事前に訳した文章を持ってくる。他の翻訳者によって出版されている日本語訳があればそれも提示される。そして、数行の固まりごとに、教授と学生がそれらをつき合わせながら議論して、翻訳を完成して行くのである。
読んでいて惚れ惚れする作業である。
取り上げられている作家は、ダイベック、ユアグロー、レベッカ・ブラウンなど柴田訳でお馴染みの作家に加え、ヘミングウェイやブローティガンなどもう少し時代の古い作家もあり、そうかと思えば、中には村上春樹の『かえるくん、東京を救う』をジェイ・ルービンが英訳したものまで含まれる(そして、その回の演習にはルービン自身がゲスト参加している)。
10回のうち1回は翻訳演習ではなく村上春樹を迎えてのセミナーであり、その村上訳で有名なカーヴァーを課題書に選んだ回もある。
日本語と英語における主語の重みの違い、文章のリズムの取り方、finally や never の訳し方、等々、書き出したらキリがないほど示唆に富んだ翻訳指南書である。
終盤まで読み進んだ時、読み終えてしまうのが惜しくなったくらいいとおしい、宝物のような教科書である。
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