映画『ストロベリーショートケイクス』
【11月3日特記】 映画『ストロベリーショートケイクス』を観てきた。
映画を観る動機付けはいくつかある──監督で観る、役者で観る、脚本家で観る(僕はこの順かな)。もうひとつあるのは、映画評で観る。今回はこのパタン──アロハ坊主さんの評を読んで俄然観たくなった(もちろん池脇千鶴が出ているからという側面もあったが)。
彼の解説が素晴らしいので、今回僕は重複するようなことは書かないことにする。
矢崎仁司って全然知らなかったけど、そんな良い監督だったんですか。『三月のライオン』ってそんな凄い映画だったんですか。この『ストロベリーショートケイクス』を観て『三月のライオン』も観たくなった。
女性2人の組合せがふた組登場する。ひと組は職場での結びつき。風俗店(デリバリー・ヘルス)の受付け係とデリヘル嬢。
受付け係の池脇千鶴は自分を捨てようとする男に文字通り縋りついて道路を引きずられたことがある。それ以来男っ気なし。道で拾ってきた小石を神様に見立てて部屋に飾り、「恋がしたい」などと願を掛ける。
デリヘル嬢の中村優子はマンションを買うためになりふり構わず客を取る。一方で大学時代の同級生・安藤政信に対する一途な片想いを胸に秘めている。何故だかベッドではなく棺桶に入って寝ている。
もうひと組はルーム・シェアする2人。OLの中越典子はイイ男を見つけて寿退社することしか眼中にない。態度が露骨すぎて同僚OLたちには軽蔑されている。男から見れば、こういう女の子は最初は可愛く思えても次第に重荷になる。
中越と同じマンションに住む岩瀬塔子はイラストレータ。別れた男に未練はなく、今は仕事一筋で、少しずつ売れつつある。だが、仕事上のストレスもあって典型的な過食症。食べては自ら喉に指を突っ込んで吐くことの繰り返し。
映画である以上、このふた組4人の女性がどこかで繋がるはずである。ところがなかなか繋がらない。結構引っ張る。僕にとってはこの構成が結構太い縦軸になった。
魚喃キリコ(この名字、何と読むのかと思ったら、ナ、ナ、何と、ナナナンと読むんですね)のマンガの映画化である。原作が良いのか脚色が素晴らしいの知らないが、非常に良く出来た脚本である。
過不足がない。語りすぎてくどくなっていないし、控えすぎて筋が解りにくくなったりもしない。観ている時間経過に沿って順序良くいろんなことが観客の目に見えてくるのである。台詞も非常に巧い。特に独り言。時として怖かったりもする。
冒頭のシーンでの凝りまくったカメラワークに度肝を抜かれるが、その後は割合おとなしい。しかし、光と角度の使い方が非常に適切である。
この映画の一番の魅力は、これだけ痛々しい女たちを扱いながら、彼女たち一人ひとりに対して愛おしさが溢れ出ているということだ。ストーリーを書くとかなり荒涼としているが、優しい優しい映画である。
終わり方は、ある種常套的な手段ではあるが、「余韻というものはこういう風にすれば残るんだ」と言わんばかりの冴えがある。好きだなあ、ああいう終わり方。
4人がそれぞれ新たな局面に入っている、いや、新たな局面に入ったのかな?という予感がある。その後の彼女たちの人生がどうなるかは解らない。ひょっとするともっと惨めなところに堕ちて行くのかもしれない。しかし、それもまた新たな旅立ちである。
見終わった後までもいろいろ考えさせてくれる。良質の映像作品を観せてもらった。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。
Comments
いつもご贔屓にしていただいて、オオキニです。
魚喃キリコの原作も、ぜひ見てください。原作以上に、キャラ・演出にこだわっているのがわかるはずです。
では、また。
Posted by: アロハ坊主 | Sunday, November 05, 2006 01:59
> アロハさん
わざわざどうも。
そうですか。じゃ、原作も読んでみます。
Posted by: yama_eigh | Sunday, November 05, 2006 15:41