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Thursday, November 23, 2006

翻訳をする者の資格

【11月23日更新】 今、柴田元幸の『翻訳教室』を読んでいる。詳しくはいずれ書評を bk1 に投稿する際に書くが、いや本当に素晴らしい。

本来は、ここまでちゃんと日本語と英語のことが解っている人でなければ翻訳などという仕事に手を染めてはいけないのではないかと思う。そう、日本語と英語と、両方の特性を深く理解していないと翻訳などという仕事はできないし、生半可にやってはならないのである。

それで大学に入学した頃のことを思い出した。

僕は別に経済学がやりたくて経済学部に入学したわけではなくて、実はそれまではほとんど文学の類しか読んだことがなかったのである。

それで、入学して経済学書の類を読み始めてすぐに頭が痛くなった。翻訳が下手糞でとてもじゃないが読めないのである。

僕らは専門課程に上がる前から「予備ゼミ」と称して、院生のチューターを招いて自主的な読書会をしていたのだが、その場での僕らの議論と言ったら、「この、『それ』は何を指しているんやろ?」とか「この文節はどこに掛かってるんやろ?」などといったことばかりで、自ら卑下して「訓詁学」と読んでいた。

外国語も日本語もろくにできなくて、経済学のことだけ知っている経済学者による訳文という奴は凡そ日本語になっていないのである。「・・・するところの」みたいな訳を平気で連発するし、原文で受動態になっている部分は日本語でも受身形にしないと気が済まないらしい。

そんなものを教科書にして経済学に入門しようとしていた僕らはただ不幸としか言いようがなくて、前述の通り僕らは日本語の解析で躓いてしまって、そこから先、経済学の分野にまで踏み込む余裕がなかったのである。

それから何年か経って卒業が近くなった頃、僕がまたふと思い出して、経済学書の翻訳のひどさについて語ったら、それを聞いた友人が「確かにそうかもしれないけど、こういう文章のほうが論理的に頭に入りやすい」と言った。

一緒に訓詁学に悩んだはずのあの友人が、である。

言葉や文章に対する人の感じ方は様々だし、時を経るに従ってそれは変容もするだろう。そう言えば、僕がリポートや論文を書くと、同じゼミの仲間たちから「まるで文学作品を読んでいるみたいだ」と笑われたものだ。

しかし、日本語には日本語らしい表現というものがあるはずである。これを「言語感覚の違い」と言って済ませてしまうのはあまりに哀しい気がした。

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