映画『ただ、君を愛してる』
【10月29日特記】 映画『ただ、君を愛してる』を観てきた。映画自体には全然期待してなかったのだが、ただ、宮﨑あおいだからチェックしておこうかな、と。(宮崎あおい)
ストーリーは、まあ、書くほどのものではないと言うか、書いちゃうと台無しだと言うか・・・。
誠人(=まこと、玉木宏)と静流(=しずる、宮﨑あおい)は同じ大学に入学する(話は逸れるけど、「しずる」というのは「シズル感」から取ったんだろうね。撮影やCM関係の人しか知らない言葉だろうけど)。で、いずれもあまり人づきあいが得意なほうではない2人がひょんなことから知り合う。
誠人はカメラが趣味。そして同級生のみゆき(黒木メイサ)に淡い恋心を抱く。一方、静流のほうは誠人にぞっこん、という三角関係である。三角関係といいながら、あまりにも無邪気で天真爛漫な静流のせいでドロドロした雰囲気はまるでない。やがて静流は誠人からカメラの手ほどきを受けるようになる。
さて、問題は静流が病気だということ。成長が遅い(いまだに乳歯が残っている等)。ただし、成長すると病気も一緒に成長してしまう。──10/23の記事にも書いた「脚本家にとって都合の良すぎる設定」である。これが見ていて嫌になるのである。
最初は玉木宏の演技がやたらと気になった。演技のまずさは必ずしも俳優一人の責任ではなく、演出家が責めを負うべきところもある。ただ、いずれにしても、辛い演技だった。
宮﨑あおいのほうは非常にエキセントリックな人物設定なので、あれくらいオーバーな演技で良いのである。ただ、玉木のほうは原作者の市川拓司が(関西人なんでしょうね)「ヘタレ」と称するような人物設定なのである。同じように大げさに演じてもらっては困る。コミカルに演じるということと大げさな演技をするということは違うということに気づいてほしいものだ。
ただ、恐ろしいもので、これも1時間も見ていると慣れてしまう。特に後半の誠人は苦しんだり泣いたりするシーンが多かったこともあって、違和感が少し薄れるのである。それを考えると、泣く(泣かせる)演技より笑う(笑わせる)演技のほうが遥かに難しいんだなあとつくづく思う。
「好きな人が好きな人を、好きになりたかっただけ」とか「瀬川君は一人分の幸せをその手に持っていて、それを待っている女の子がこの世界のどこかにいる」とか、良い台詞がたくさんあった。もし、これらが全て原作にあったものだとすると、市川拓司という作家はダイアローグ・ライターの面では優秀なのだろう(読んだこともないし、この先読む気もないが・・・)。
ただ、底流に流れているものはどうしようもなく薄っぺらで安っぽい。まあ、逆に非常に解りやすいものにはなっているので、例えば中学1年生向けの感想文の課題映画などにしたら良いのではないかと思う(これは皮肉ではなく、本気でそう思って書いている)。
そんな映画ではあるが、もし、あなたが宮﨑あおいのファンであるなら、この映画はチェックしておくだけの価値は十二分にある。
ボサボサ髪+眼鏡+スモックというダサダサ・ファッションの思いっきり子供っぽい姿で現われた宮﨑あおいが、やがて本人が宣言したとおり、魅力溢れる大人の女になって再登場する(シーンは短いが、しかしハッとするくらい美しく変身している)。
去年から今年にかけて封切られた7本の出演映画の中では多分6番目か7番目の出来なのだろうけれど、女優・宮﨑あおいとしては一番演じ甲斐があった作品かもしれない。もちろん宮﨑あおいファンとしてもかなり見ごたえのある作品であった。
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