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Friday, October 20, 2006

自意識の怪物

【10月20日特記】 年老いて物忘れが激しくなった母が、他人からボケていると思われないかをとても気にしている。
ははあ、僕はこの人からこの遺伝子を受け継いだのか、と思った。

少年期の僕は自意識の怪物だった。自意識過剰でがんじがらめになっていた。こんなことをするとこんな風にバカにされないか、あんなことをするとあんな風な反発を食わないか、そんなことばかり考えていると身動きが取れなくなり、結局は「何もしない」という選択肢を選ぶことが多くなる。

そういう訳で、僕は傍目には「独り超然とした子供」というように捉えられていたようだが、実は心の中では嵐が吹き荒れていたのである。

僕は母に言った。

「あのな、誰も他人のことなんてそんなに気にしてないよ」

この言葉が母に対する宥めの意味を果たしたかどうかは知らない(母はきょとんとしていた。ただし、これはもちろんいろいろ喋ったうちの一部分であって、この台詞だけを言って突き放した訳ではないので、念のため)。ただ、僕の場合はそのことに気づいたことによって、自らに対する呪縛から解放されて、人生が軽いものになったのである。

他人は僕の一挙手一投足を眼を皿にして観察している訳ではないし、観察したことを基にいちいち僕を採点して、軽蔑したり毛嫌いしたりしている訳でもない。他人はそれほど僕に関心はないのである。

僕について何か感じてもすぐに忘れてしまう。僕に関わりを持とうと身構えている人は少ないのである。

もちろん、僕を心から憎んでいる人がいれば、僕を観察していちいち粗を探そうとするだろう。だが、僕のことを「あんまり好きではない」「なんとなく波長が合わない」という程度にしか思っていないのであれば、そもそも僕に対してそれほど注意を払っていないのである。

だから、他人の眼を気にしても仕方がないのである。そう考えると楽になった。

僕はそもそも構われることを好まない。買い物に行ってもベタベタ寄って来る店員がいると買う気を失う。友達にもあまりあれこれと世話を焼かれるのは鬱陶しい。気を遣われると逆にこっちが気を遣ってしまい居心地が悪くなる。

そういう感じ方を淋しい感じ方だと評する人がいる。そういう風に感じる人がいることは僕も承知している。そういう人がいてそういう風に言うことに対しては反感を覚えることもないし、どうこうしようとも思わない。

他人の頭の中は支配できないのであって、他人の頭の中に手を突っ込まないことは他人から自分の頭の中に手を突っ込まれないための方策である。

作家の坂口安吾は「実現されねばならぬことは、たゞ一つ、自由の確立といふことだけ」と述べたそうだ(今朝の朝日新聞の天声人語に書いてあった)。

僕が得たものも、ある種の自由の感覚であると思う。社会と戦って自由を獲得するという意味には程遠いが、まず自分の心の中に自由を確保したということだ。

今日で坂口安吾生誕100年なのだそうである。

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